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日常開示

2022年03月03日    木曜日     第1 回の開示 合計3577回の開示

瑜伽師地論 第九巻 十二因縁釈(四)

中際より後際の諸行が縁起して生ずるとは、いかなることか。すなわち、中際において既に生を受けた補特伽羅は、二種の先業果を受ける。内なる異熟果と、境界より生ずる受の増上果とである。この補特伽羅は、非正法を聞くが故に、あるいは先に串習したが故に、二つの果に対する愚痴を有す。

内なる異熟果に対する愚痴により、後の有における生の苦を如実に知らず。後の有に対する迷いにより、後際の無明の増上力によって、前に諸行においてなした如く作し、また増長す。この新たに作した業によって、この識を随業識と名づく。

釈:現世の縁によって、後世の諸行が因縁によって生じる理を問う。現世に生を受けた有情は、前世の業がもたらす二種の果報を受ける。第一に前世の業行による異熟果、第二に現世の環境に熏染されて生ずる増上果である。この有情は非正法を聞くか、あるいは過去の慣習により、内なる異熟果と現世の増上果に対する理解を欠く。

前世の異熟果に対する無知により、後世の五蘊身が苦を生ずる理を如実に知らぬ。後世の三有に迷う故に、後際の無明が増大し、前世と同様に身口意の諸行を造作し、更に増進させる。この新たに造られた業によって、業力に随順する識を随業識と称する。

第六識と第七識は共に無明を具え、諸行を造作し業力に随順する故、共に随業識と呼ばれる。ただし第七識の意根は刹那も離れず業力に随順し、第六識は断続的に業力に従う。入胎時には第七識が業縁に随って胎内に入り、その後業力によって第六識が生起し果報を受ける。

現法において無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生ず。この識は現法において因識と名づけ、後生の果識を摂受する。一切の識を総じて六識身と称す。この識は後の有における名色の種子に随逐され、名色の種子は後の有における六処の種子に随逐される。

釈:現存する法において、無明を縁として行が生じ、行を縁として識が生ずる。この識は現世において因識と呼ばれ、後世の果報識を引き起こす。前世と現世の六識を総称して六識身という。この六識身は後世の名色を生ずる種子に随逐され、名色の種子は後世の六処を生ずる種子の基となる。

六処の種子は後の有における触の種子に随逐され、触の種子は後の有における受の種子に随逐される。これら総じて中際における後の有を引く因と知るべし。この識によって一期の身を受く。

回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向す。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永く息む。一切の災難消退を祈る。各国人民の団結相助け、慈心相向かんことを。風雨時に順い、国泰く民安んぜんことを。一切衆生に因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を修め、仏法を信じ学び、善根を増長せんことを。苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆と正法の永住を祈り、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。

——生如法師の開示
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