衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年12月25日    土曜日     第1開示 合計3563開示

二重人格は意根の多格である

二重人格を持つ人は、果たして意識と意根がそれぞれ別の人格を持っているのか、それとも意根が二つの人格を持っているのか?第一の人格が現れるとき、身口意の行いはある様相を示し、第二の人格が現れるときは別の様相を示す。二つの人格は異なり、あるいは全く正反対で、あたかも別人のようである。

なぜ多重人格の現象が生じるのか?意根が複数の考えや意思を抱え、互いに折り合いがつかなくなったため、異なる意思を満たすため、あるいは複数の性格を表現するために多重人格が現れるのである。つまり、自ら自らの意思を満たせなくなり、複数の性格が調和して共存できず、様々な経験が重なり合い融合できなくなったため、やむを得ず多重人格を形成し、各々の意思と自我を満たすのである。意根が過度に葛藤し、矛盾を解消できないため、強制的に自らを二分し、あるいは複数に分裂させるのである。

多重人格の現象から、諸仏菩薩の化身と報身を事前に体感することができる。報身とは意根が現じた身体であり、化身とは分身であり、意根の意思によって化現された六識の分身である。二重人格のそれぞれの身口意の行いが異なるのは、分身である六識の造作が異なるのと同様であり、諸仏菩薩の化身の身分が異なれば造作も異なる。観世音菩薩の願力は「衆生がどの身によって救われるべきか、その身を現じて説法する」ことである。「どの身」とは無数の化身であり、意根による衆生救済の意思によって化現されたものである。一人の菩薩が二つ以上の身分を化現して世に現れ、各々の色身は互いに認識しない可能性もある。

諸仏菩薩の願力は広大かつ深遠であるため、一つの色身ではこれほど多く、大きく、深い願力を実現できず、無数の分身を化現して数多の願力を実現しなければならない。意根は主導識であり、福徳・禅定・身体・願力が十分であれば、主導して分身し、数多くの六識身を変現する。一組の六識身は一組の身口意行を持ち、数多くの組の六識身は数多くの身口意行を持つ。身口意行はそれぞれ異なるが、全て同じ意根と如来蔵に帰属する。一方、多重人格の人格は、同じ意根の異なる側面、異なる性格、異なる意思、あるいは異なる願いに帰属する。

唯識を学び終えた皆さんは、心理カウンセラー、心理学者、あるいは心理指導者となり、心理研究と導引に従事できるはずである。他人の心理は一目で分かり、誰もあなた方を欺くことはできず、他人の心理を掌握し、人々を善く導くことができる。世間の人々は貪・瞋・痴に他ならず、五蘊の我に執着し、現象界を見抜けないため、当然心理的問題を解決できない。様々な法義を思惟し観行すれば、諸法の意義が貫通し、未来の方向性が明確に見え、仏法修証の前途に対して楽観的になり、明るい未来を感じるであろう。

回向文:当ネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳をもって、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が上がらず、干戈が永遠に止むことを。全ての災難がことごとく消退することを。各国の人民が団結し互助い、慈心をもって相対することを祈願する。五穀豊穣、国家安泰、国民平安であることを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開くことを願う。仏教が永く興隆し、正法が永く住することを祝愿する。三界の火宅を極楽の蓮華の郷に変えることを。

——生如法師の開示
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