白雪香の白骨観体験の共有:四念処における身不浄観の教義を学び始めた当初、私は法医学の解剖動画やチベットの鳥葬の画像を参考資料として購入しました。夜静かにこれらの動画や画像を見ていると、意根が意識の視覚に伴って「肉体は私ではない」という念いを生じさせました。当初の意図は身不浄観を修めることでしたが、後に繰り返し思惟する中で「肉身は私ではない、私そのものではない、幻の私、仮の私、操り人形である」という結論に至りました。寝る度に「この身体は私ではない」と観じ、目覚める度に「この肉身は私ではない」と観じ続けました。
こうして約二年が過ぎたある日、昼寝から目覚めた時(まだ目を開ける前)、突然足裏の肉が砂のように流れ落ち、膝辺りまでの肉が全て流れ去るのを見ました。夢かと思い目を開けると、実際に覚醒しており夢ではなかったため、再び目を閉じると、今度は全身の肉が砂のように流れ続け、頭蓋骨だけが残っているのが見えました。ただし骨は白ではなく黒ずんでいました。私は分析を加え、黒い骨が見えたのはおそらく情執(親子・親族などへの愛着)が突破されていないためだろうと考え、その後は特に情執の打破に思惟を集中させました(最近いくらか理解が深まってきています)。先日は皆と共に四念処を共修し、結跏趺坐で坐禅を組んでいると、坐り始めて間もなく脚の骨の部分から肉が裂けていくのが見えました。その後、全身の肉が少しずつ剥がれ落ち、鮮やかな赤い筋がまだらにぶら下がって完全には落ちきらない状態になりました。
評:白雪香の観行の功夫は連続性を実現している。教義が意根に定着して初めて功夫は途切れず持続する。昼も観行でき、夜も観行でき、寝る前も観行でき、目覚めた後も観行でき、睡眠中も観行が続く。夢の有無に関わらず観行は持続する。無夢時には意根単独で観行し、有夢時には意根が意識に観行を促す。意識の功夫は断続的で連続性を持たない。意根の観行功夫が持続するため、長期間にわたり色身への認識が変化し、一度「色身肉体は私ではない」と覚ると、肉が骨から剥離する現象が生じる。これは初歩の三昧の境地であり、最終的な我見断絶の三昧境地にはまだ距離がある。しかし見道(初地入り)の因縁条件がさらに円満になれば、見道は急速に近づく。
これは白骨観の実践事例であり、修行者の模範として提示する。観行に励む全ての人を激励したい。努力精進し観行を継続すれば功夫は必ず向上し、我見を断つに至る。仏の教えに偽りなし。個人の様々な因縁条件によるが、核心は発心と福徳にある。大菩提心を発し、苦からの解脱を願い、福徳と戒定慧を勤修すれば、観行の功夫は日々向上し、最終的に成果が現れる。
回向文:当ネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳をもって、法界の一切衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界平和と戦争の終熄を祈願し、烽火の絶え干戈の永き鎮静を願い、一切の災難の消退を祈る。各国国民の団結互助と慈心の交流を祈願し、風雨順調で国家安泰を願う。一切衆生が因果を深く信じ慈心をもって殺生を断つこと、善縁を広く結び善業を広く修めること、仏を信じ学ぶことで善根を増長すること、苦を知り集を断ち滅を慕い道を修めること、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開くことを願う。仏教の永興と正法の永住を祈願し、三界の火宅を極楽の蓮邦へと転じんことを。
3
+1