衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年12月04日    土曜日     第1 回の開示 合計3553回の開示

識の煩悩の源

意根は意識が生じるための倶有依であり、意識の心の汚れと清浄の所依でもある。意識は意根と法塵が接触した後、意根の選択と造作によって生じるものである。意識の煩悩はどこから来るのか。一つは意根の調節と熏習によるものであり、もう一つは周囲の汚れた環境からの熏習によって形成される。

意根がどのように意識を調節し熏習するのか。意根が六塵の境界に接触する時、おおむね塵境が心に適わないと判断し、意根はまず煩悩を起こし、塵境に対治しようとする。そこで意識が生じ、意根の指令に従って現在の法塵を弁別し、身口の行動を起こす際に煩悩を伴う。身口が汚れるのは、意識が意根の調節を受けた結果である。熏習の意味は、意根の煩悩が現れる度に意識を熏習し、意識が次第に熏習を受けて意根と同じ煩悩を持つようになることである。例えば嬰児が生まれた当初、意識には煩悩がないが、時が経つにつれ意根の先天的な煩悩が意識の心行を左右し、意識は次第に意根の煩悩と一致するようになる。これが意根による熏習である。

意識に覚りが生じた時、初めて煩悩を軽減し、逆に意根の煩悩を制御できるようになる。意識の煩悩の第二の源は塵境の熏習であり、同類の者々の種々の煩悩の中に常に身を置き、日々積み重ねる熏習によって、心に煩悩が現れる。意識の煩悩は再び意根を熏習し、意根にも同じ煩悩を持たせる。煩悩を断った後の意根は熏習を受け難く、仮に偶発的に煩悩が起きても、それは意識の一時的な煩悩であり、後には消滅して長続きしない。

回向文:
我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを。一切の災難ことごとく消退せんことを。各国人民が団結して助け合い、慈心をもって相対しますよう。風雨時に順い、国泰く民安んぜんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏法を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開きますよう。仏教が永く興隆し、正法が永住しますよう。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを。

——生如法師の開示
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継続不断の観行は意根の修業である

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