意根が明鏡に像を現すことは、如来蔵が明鏡に像を現すことと大きく異なります。如来蔵が像を現す際、如来蔵と像の間には生じるものと生じられるものの関係がありますが、意根が像を現す際、意根と像の間にはそのような関係はありません。意根は第二の能変識ではありますが、この「変」は無から有を生じる意味ではなく、現れさせるという意味、促し成すという意味です。
意識と五識は第三の能変識であり、像を現し顕す機能を有しますが、意識の現す像は意根の現す像ほど如実ではなく、誤りやずれ、変異した像を現すため、単純に諸法を照見する作用を起こさず、像に加工を施した現れ方をします。もちろん意根の現す像も完全に如実ではなく、ある程度の歪みや変異を伴いますが、意識ほどの深刻な歪みはなく、如来蔵の現す像は完全に如実で、歪まず変異せず、法の原貌に忠実です。故に如来蔵の現す像こそ真に鏡が像を現す如きものなのです。これが三能変識の像を現すことの相違です。
回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界の平和を祈願し、戦争が起こらず、烽火が興らず、干戈が永遠に止むことを。あらゆる災害がことごとく消退することを。各国の人民が団結して助け合い、慈心をもって相対しますよう。風雨順調で国泰民安となりますよう。全ての衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生せず、善縁を広く結び、善業を広く修め、仏を信じ学び、善根が増長しますよう。苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開きますよう。仏教が永く興隆し、正法が永住しますよう。三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならしめますよう。
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