衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年11月20日    土曜日     第1開示 合計3542開示

有情と非情の区別

有情と非情の根本的な区別は、有情衆生の色身は衆生自身の如来蔵によって単独で生み出され保持される点にあり、かつ色身には七識の了別作用があるため五蘊の活動が存在する。一方、非情の色法は共業衆生の如来蔵によって共同で生成・保持され、七識も五蘊も存在しない。なぜなら七識は単一の如来蔵から出力される識の種子によって生じるものであり、複数の如来蔵が共同で識の種子を出力して形成されることはありえないからである。したがって非情物には七識・五蘊の活動がなく、衆生とはみなされない。有情衆生の五蘊活動と非情の物質的色法活動との根本的な違いは、有情衆生の五蘊身に受・想・行・識の機能的作用が備わっている点にある。

もし衆生の末那識(意根)が特定の物質的色法が自身にとって有用であり、自身の色身として機能しうると判断した場合、その如来蔵と末那識は当該色法の中に入り込むか付着し、五蘊活動を生起させる。これが有情衆生の憑依現象である。衆生が転生を求める理由は五蘊活動を望むからであり、色法がなければ五蘊活動を行うことができない。そのため衆生は何とかして転生しようとし、転生の福徳と機縁がどうしても得られない場合、物質的色法を自身の色身として利用し、その色法上で五蘊活動を行うことになる。したがって衆生の色身には必ず受蘊、あるいは想蘊・行蘊・識蘊の機能的作用が存在し、これらの作用が合わさって初めて五蘊衆生が形成される。もし物質的色法が衆生に利用されず五蘊活動を生じさせることができないならば、衆生はその色法に付着することはない。

ミミズが二つ・三つ、あるいは複数に切断された後、各断片が生存する可能性がある場合、各断片は独立したミミズとなり、個別の衆生として自身の如来蔵が単独の五蘊活動を促す。他の断片で生存するミミズも同様である。これはミミズの身体に特殊な再生機能が備わっており、その身体機能が利用可能であるためで、衆生の如来蔵と末那識が投入されることで自身の色身を獲得し五蘊活動が可能となる。他の動物の身体は切断後に再生できず色身として再利用できないため、衆生はそこに投入せず、切断された肢体は壊滅する。

転生の福徳と機縁を持たない衆生は、利用可能なあらゆる物質を自身の色身として活用する。大千世界の衆生の数は膨大であり、色身を持たず遊離状態にある孤魂野鬼の類は非常に多く、あらゆる転生の機会を見逃さず、あらゆる手段で転生または憑依を試みて自身の五蘊活動を得ようとする。色身がないと頼りがなく非常に苦しいと感じ、色身を利用して世間に生きることで拠り所ができるため、誰も無身であることを望まない。温度・湿度などの環境条件が適している場合、転生・憑依を求める衆生は特に多くなり、彼らは様々な細菌類の衆生となったり、極小の微細飛蠕の有情に転じたりする。どのような衆生に転じようとも、頼りとなる色身さえ得られれば彼らは喜んで転生する。たとえ細菌の生命が生住異滅(誕生・存続・変化・滅尽)のサイクルが非常に速く、何度生まれ変わってもすぐに死ぬとしても、彼らはなお転生を求める。無身の状態は本当に苦しいからである。

回向文:我々のネットワークプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向する。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火起こらず、干戈永遠に息む。全ての災害ことごとく消退せんことを。各国の人民が団結し互助い、慈心をもって相い向かい合うことを祈願し、風雨順調に国泰く民安んぜんことを。全ての衆生が因果を深く信じ慈心をもって殺生せず、広く善縁を結び広く善業を修め、仏を信じ学び善根を増長し、苦を知り集を断ち滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉ざし涅槃の路を開かんことを。仏教の永遠の興隆と正法の永住を祈願し、三界の火宅を極楽の蓮邦となさんことを。

——生如法師の開示
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法義薫習意根時の現れ

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意根は現識の意味である

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