有情と無情の根本的な違いは、有情衆生の色身は衆生自身の如来蔵によって単独で出生し執持され、かつ色身には七識の了別作用が存在し、五陰の活動がある点にあります。一方、無情の色法は共業衆生の如来蔵が共同で生起し執持するもので、七識と五陰が存在しません。これは七識が単一の如来蔵から出力される識種子によって生じるため、多数の如来蔵が共同で識種子を形成することは不可能であるからです。したがって無情物には七識五陰の活動がなく、衆生とは認められません。有情衆生の五陰活動と無情の物質色法活動の根本的差異は、有情衆生の五陰身に受・想・行・識の機能作用が備わっている点にあります。
もし衆生の意根がある物質色法が自己にとって有用で自身の色身となり得ると認識すれば、その如来蔵と意根は当該物質色法に進入もしくは付着し、五陰活動を生起させます。これが有情衆生の憑依現象です。衆生が転生を求める理由は五陰活動を希求するためであり、色法がなければ五陰活動を営むことができません。そのため衆生は転生の方法を模索し、実際に転生の福徳と因縁に恵まれない場合、物質色法を自身の色身として利用し、当該物質色法上で五陰活動を行います。よって衆生の色身には必ず受陰、あるいは想陰・行陰・識陰の機能作用が具わり、これらの作用が総合されて初めて五陰衆生が形成されます。もし物質色法が衆生に利用されず五陰活動を生起できない場合、衆生は当該物質色法に付着しません。
蚯蚓が二つ・三つ、あるいは複数に切断された後、各断片が生存可能となる場合、各身体は独立した蚯蚓となります。独立した蚯蚓は単独の衆生であり、独自の如来蔵が個別の五陰活動を促します。他の断片から成育する蚯蚓も同様です。蚯蚓の身体は特殊な再生機能を有するため、その身体機能を利用可能であり、衆生の如来蔵と意根が投入されれば自らの色身を獲得し五陰活動が可能となります。他の動物の身体は切断後再生不能で色身として再利用できないため、衆生はこれに投入せず、切断された肢体は滅失します。
福徳と因縁に乏しく転生できない衆生は、利用可能なあらゆる物質を自己の色身として活用します。三千世界の衆生の数は膨大であり、色身を有さず遊離状態にある孤魂野鬼類の衆生は極めて多数存在します。彼らは如何なる転生の機会も逃さず、あらゆる手段で転生もしくは憑依を図り、自らの五陰活動を確保しようとします。色身を有さない状態は依り所を失った苦悩と感じられ、色身を利用して世間に住することにより依り所を得ることを切望します。温度・湿度等の環境条件が適切であれば、転生憑依する衆生は特に多くなり、各種細菌類の衆生となるか、極小の蜎飛蠕動類の衆生に転じます。如何なる種類の衆生に転じようとも、色身を依り所とできる限り彼らは進んで転生します。細菌の生命が生住異滅を極めて速く繰り返し、転生しては死に転生しては死ぬ状況であっても、彼らはなお転生を続けます。無身の状態が真に苦痛であるからです。
回向文:当ネットプラットフォームにおける全ての弘法と共修の功徳を以て、法界の衆生に回向し、世界の民衆に回向いたします。世界の平和を祈願し、戦争起こらず、烽火興らず、干戈永遠に止むことを。一切の災害禍難ことごとく消退せんことを。各国人民が団結互助し、慈心をもって相対し、風雨順時にして国泰民安ならんことを。一切衆生が因果を深く信じ、慈心をもって殺生を断ち、広く善縁を結び、広く善業を修め、仏を信じ学び、善根を増長し、苦を知り集を断ち、滅を慕い道を修め、悪趣の門を閉じ、涅槃の路を開かんことを。仏教の永き興隆を祈願し、正法の永住を願い、三界の火宅を変じて極楽の蓮邦とならんことを。
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