衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年10月20日    水曜日     第1 回の開示 合計3527回の開示

業障消除の印

すべての人は無始劫よりこのかた、極めて多くの悪業を造り、膨大な業障が修道を妨げている。障道の主要な業障を除去しなければ、見道することは不可能である。修行が比較的効果を発揮し、ある程度の成果が現れた時、初めて業障の一部が消滅し、障道の因縁が除去される。どのようにして修行が功を奏したと言えるのか。法を学び善悪の理を明らかにした後、自らに多くの煩悩があり、数多くの悪業を造り、膨大な業障があることを知り、悔恨の心が生じれば、業障は徐々に排出されていく。

業障を排出する経路と方法は多様である。例えば悪報を受けること、種々の不順、身体の疾病、人からの侮辱や誹謗、軽蔑や差別などが挙げられる。金剛経に説かれているように、金剛経を読誦する功徳により、本来前世の悪業により悪道に堕ちるべき者が、経典を読誦することで業を消滅させ、現世でただ軽蔑されるだけで悪業が消滅し、後世に三悪道で報いを受ける必要がなくなる。人から軽蔑されることは人間界での苦しみであり、この果報は三悪道の報いよりはるかに軽い。たとえ命を失う場合でも、三悪道の報いよりはるかに軽い。したがって仏教徒が現世で悪報を受け、人から侮辱や打擲を受ける時は、むしろ慶びとすべきであり、再び相手に報復して無駄に苦しむべきではない。

修行が功を奏するようになると、業を消滅させる方法も多く、消業の兆候も現れる。例えば夢中で多くの汚物を吐き出す、腐肉のようなもの、黒い血、黄色い膿、九穴から不浄臭穢が流出する、あるいは便所で大小便に囲まれ身動きが取れない状況などが挙げられる。これらの汚物は心の貪瞋痴を表している。日常では到底受け入れ難い恥ずかしく想像もつかない現象が夢に現れるのも消業の兆候である。これは修行による消業現象であり、過去に衆生の肉を食したため心身が清浄でなかった者が、理を明らかにして心が幾分清浄になると業が消滅し、夢中に業障消滅の状況が顕現する。

夢中では心が清浄になる様子も現れる。心の染汚は夢中で物質的色法を通じて表現され、身体から汚物が出ることは染汚が排出されたことを示す。現れる汚物は多種多様で個人差がある。身体から不快な臭気が発せられることも消業の現れであり、疾病や諸々の不順、家庭や職場での不如意事、騒動の頻発なども含まれる。

修行が精進すればするほど効果が速く現れ、汚物や染汚現象が急速に多発し、心の変化も大きくなる。これらの現象がない場合、修行がまだ十分でなく、意根に触れておらず業種に影響を与えていないことを示す。心に顕著な変化がなければ業障は消滅せず、実際の修行段階に達しておらず、理論上の努力に留まり、理論に興味を持つだけで自己変革への反省が不足している状態である。

念仏に専心する時、身体が砂撒き機のように働き、口や身体各部から黒い汚物(痰・肉片・粉末など)が排出される場合がある。これは過去に衆生の肉を食したことによる消業現象である。夢中で嘔吐しようとして胃の中の砂状物質が吐き出せず、吐き出す際に内臓ごと引き出される感覚を伴い、一瞬にして巨大な汚物が排出されることもある。これらは過去に造った貪瞋痴の悪業、身口意の悪業、悪口誹謗などの染汚業によるものである。

これらの現象から、まさに「念仏一声で罪恒沙を滅す」ことを体得すべきである。理に適った修行をすれば多くの罪業を滅却できる。今生で我見を断ち明心できなくとも、ただ業を消滅させるだけでも十分価値がある。大いに業を消滅させ、業障が軽減されて初めて見道できる。決して再び悪業を造ってはならない。悪業を造ることは全く割に合わない。修行に励み煩悩を消滅させることは非常に価値ある行為である。

——生如法師の開示
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