原文:佛告诸比丘。吾以种种呵妄语。赞叹不妄语者。乃至戏笑尚不应妄语。何况故妄语。是中犯者。若优婆塞。不知不见。过人圣法。自言我是罗汉。向罗汉者。犯不可悔。若言我是阿那含。斯陀含。若须陀洹。乃至向须陀洹。若得初禅。第二禅第三禅第四禅。若得慈悲喜舍。无量心。若得无色定。虚空定识处定。无所有处定。非想非非想处定。若得不净观。阿那般那念。诸天来到我所。诸龙夜叉。薜荔毗舍阇。鸠槃荼罗刹。来到我所。彼问我我答彼。我问彼彼答我。皆犯不可悔。
解釈:仏は多くの比丘たちにこうおっしゃった。私は种种の方法で妄語を呵責し、妄語をしない者を讃嘆する。修行者は戯れの笑い話の中でさえ妄語を言ってはならない。まして故意に妄語を言うことなど、なおさら犯してはならない。もし本当に妄語戒を犯した者がいたなら、五戒を受けた優婆塞(優婆夷)が、凡夫を超えた聖人の法を知らず、また証得していないにもかかわらず、人に私は阿羅漢である、私は阿羅漢に向かう者である、私は阿那含である、私は斯陀含である、私は須陀洹である、私は須陀洹に向かう者である、私は初禅を証得した、私は二禅を証得した、私は三禅を証得した、私は四禅を証得した、私は慈悲喜捨の四無量心を獲得した、などと言うならば;
私は無色界の空無辺処定、識無辺処定、無所有処定、非想非非想処定を証得した、私は不浄観を獲得した、私は阿那般那念を修め成した、諸天の天人たちが私の身辺にやって来た、諸龍、夜叉、乾達婆、毘舎闍、鳩盤荼、羅刹が私の身辺にやって来て、私と対話した、彼らが問い私が答え、私が問い彼らが答えた、などと説くならば、これは妄語戒を犯したことであり、犯した後には懺悔することができず、たとえ懺悔しても妄語の罪業を消し去ることはできず、なお罪があり、命終すれば三悪道に堕して妄語の報を受けます。
以上は仏陀による妄語戒についての開示で、主に大妄語を対象としており、きわめて重大な事柄についての虚偽の嘘であり、小妄語については述べられていません。重大な事柄とは、たとえ出世間法の実証であっても、この問題については絶対に妄語を言って人を欺いてはならず、聖賢になりすますという罪業はきわめて大きいものです。王になりすますだけでも斬首されて衆に示され、九族にまで連座させられるのですから、まして世間の凡夫の王をはるかに超勝した聖賢の人になりすますならば、その罪はさらに大きく、懺悔することはできず、必ず悪道に堕ちます。それゆえ、誰もが重大な出世間法については必ず言語を慎み、細心の注意を払わなければなりません。百分の百の確信がなく、確固たる証拠がないならば、決して自分が何らかの出世間法を得たなどと軽々しく広めてはなりません。また、どのような人が印可したものであっても、事実でなければ、必ず深刻な悪報を承受することになります。すべて学仏者が慎重に慎重を重ね、大妄語の罪を犯さないよう願います。一度人の身を失えば、再び得ることは難しいのです。
なぜ多くの人が、自分は何々の法を得た、何々の果を有したと外に向かって宣言したがるのでしょうか。衆生はどのような心理なのでしょうか。深く追究してみれば、要するに自分が優秀であり、優越であり、他の人を超越していること、自分が他の人に勝っており、他の人はみな自分に及ばないことを証明したいのです。あるいは他人の尊崇、敬仰、欽佩を得たい、他の人に自分に服従してほしい、頭角を現したいなどと望み、それによって自慢し、自己愛し、慢心するのです。これらはいずれも心の中に我があり人もあることに基づいており、我相が具足し、人相が具足していて、我見を断除しておらず、何の法を得てもいないのです。それゆえ、なお我見の具足した凡夫なのです。聖人の法を得たいと思う人は、必ず自分の内心を深く追究し、自分の心の中の我を掘り起こして、破除し、消し去り、その我を再び出現させて自分を惑乱させ、自分に煩悩・惑業・苦を増やさせないようにしなければなりません。
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