衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年09月23日    木曜日     第1開示 合計3510開示

智慧をもって禅定に入る方法

上座が呼吸を整えた後、心の中で熟考すべき問題を呼び起こし、意識で問題の内包を整理したならば、分析・推理・推測・想像を行わず、表面的な意識の思考を用いずに、末那識(まなしき)を動員する。問題を深く末那識の心に植え付け、末那識にこの問題を懸けさせる。この時、意識と末那識の心には文字と言葉と音声が存在せず、こうして定力が生じ、禅定が現れる。末那識が問題を思量する状態にあれば、色身に何の妨げもなく、心に雑念がなければ、末那識はますます思量に専念し、禅定はますます深まり、智慧はますます開解され、身心の状態はますます調和し、精神はますます愉悦を増す。

このような甚深の禅定の中で法義を思量することは、完全に甚深の観行・参禅・参究に等しく、心の中で法義はますます明瞭となる。一旦思量が透徹すれば、内心は非常に確信に満ち、疑いがなく、疑惘(ぎもう)が断たれる。もしこのような方法で我見を断つ内容および自性明心に関する内容を思量するならば、一旦思量参究が明らかになれば、三結(さんけつ:身見・戒禁取・疑)を断除し、疑結は必ず断たれる。もし意識の推理や憶測によって導き出されたものであれば、末那識が明らかでないため疑結は断たれず、業障も除かれず、生死を絶つことはできない。

非常に多くの人々は意識の浅薄な思考様式のみを用い、末那識の深い思量様式を用いない。そのため、皆、功夫を込めて参禅・参究することができず、情思意解(じょうしいげ:感情的な理解)に陥り、疑情が消えず、疑結が断たれない。何か異変があると疑心が熾盛(しじょう)となり、以前に導き出した法は覆されてしまう。たとえ覆されなくとも、それは実証・親証ではなく、実際の役には立たない。だからこそ、現在「悟った」と自認する者のうち、偽悟の比率は純金の比率、あるいはそれ以上であり、決して少なくはない。これが末法の現状である。どれほど多くの人が心に納得できなくとも、これが事実であり、末法の衆生の根器と時代背景に相応しており、正法の時期や像法の時期より良くなることは決してない。

——生如法師の開示
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