衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常開示

2021年09月18日    土曜日     第1 回の開示 合計3508回の開示

いかにして修行すれば利益を得られるか

修行はトウモロコシ畑で実を摘むようなものである。目的はトウモロコシを摘んで持ち帰り、煮て食べて腹を満たすことであって、畑を見物するためではない。故にまず第一に実を摘むことが肝要である。もちろん手を下す前に、畑の状況を大まかに観察するのはよい。熟した実は摘み、未熟なものは残し、どこから手を付けるかを選ぶ。しかし中には、終日畑をうろつき、空腹のままあちこち触って回りながら、決して実を摘まぬ者もいる。これこそ愚かな者である。

仏法を学ぶ者も同様である。仏法を広く読み聞きした後は、真剣に修行を実践せねばならない。最も近く最も容易な所から着実に修行に励み、少しずつでも功徳を積み、悟りを証することが肝要である。長年あるいは生涯を聞法と学習の段階に留まり、他人の教えを学ぶことに熱心で他人の財宝を数えるようなことをせず、自らの財宝を持つことが王道である。さもなくば餓死して餓鬼道に堕ちるであろう。

自らの道行きを確立し餓鬼とならぬためには、基礎から着実に修行を積まねばならない。三十七道品は少しずつでも修め、悪を去り善を修し、煩悩を調伏し、心を清浄にする。たとえ悟りに至らなくとも、これらの修行は来世に持ち越せる功徳となる。修めないよりは遥かにまさり、他人の財宝を数えるよりはるかに勝る。他人の銭を数えて喜びに浸っていても、いざという時一銭も自分の物でないと気付けば、後悔しても遅い。聡明な者なら、如何に学び修行すべきか、自ずと明らかであろう。

——生如法師の開示
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