衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年09月15日    水曜日     第1開示 合計3505開示

なぜ汚れた意根によってのみ汚れた前六識が生じるのでしょうか。

汚染された意根がなぜ汚染された前六識のみを生み出すのか?

十二因縁による生死流転の原因によれば、意根に無明があると、無明を縁として意根の無明による行いが生じ、意根の無明による行いを縁として六識の無明による身口意の行いが生じます。身口意の行いは阿頼耶識に落として種子となります。意根の行いとはすなわち意根の選択行為であり、意根が選択した後に六識が生じて意根の造作を補助します。したがって、もし意根が汚染され無明があるならば、助手としての六識は意根が汚染業行を造作するのを補助しなければなりません。もし意根に汚染があっても、汚染行を選択しないときには、意識は自身の清浄によって意根の心を熏染し、意根もまた意識の清浄行を許可するならば、清浄な業行が生じるでしょう。ゆえに修行とは善法を熏習し、この善法をもって意根を熏染し、それによって意根の無明を破り、意根を変革することです。心が清浄になれば、将来には清浄な果徳を受けることができるでしょう。

——生如法師の開示
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識による証果の極めて頼りにならぬこと

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青空観行日誌 9月16日

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