衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年09月09日    木曜日     第1開示 合計3501開示

意根の機能と作用を如実に理解する方法

なぜ一部の人々は常に第七識である意根が何もできないと考えているのでしょうか?それは、大多数の人々が表面的な意識の機能しか見えず、意根の機能を見ることができないためです。そのため、五陰のすべての機能を意識のものとみなし、意根が主導する識としての機能を無視し否定してしまうのです。彼らは意根が一切法の先導者であり、一切法が現れること、意識が接触・了別・処理できることは全て意根の選択の結果であることを理解していません。意根は五陰身の家長なのです。

もし何もできない無能な者が支配するなら、その家がどうなるかは想像に難くありません。しかし、世の中には非常に多くの大福徳・大智慧を持つ人々がおり、五陰身が数多くの善業や智慧の業を行っているのは、全て意根が主導した結果です。たとえ畜生であっても、その意根の機能は非常に優れており、六識とは比べものになりません。考えてみてください。大小さまざまな団体において、メンバーがなぜ指導者の手配や指揮に従うのでしょうか?権力以外に何か別の理由はないのでしょうか?もし指導者が無能で何の価値もなく、メンバーが唯々諾々と従うなら、そのメンバーはさらに弱く無能ではないでしょうか?

国家の大統領や元首は、部下のように具体的な事柄や技能に精通することはできず、秘書の仕事も全て引き受けることはできません。彼は高みに立って全体を統括する立場にあり、具体的な仕事を行うことは不可能です。元首が自ら具体的な民衆対応に出ず、具体的な仕事をせず、技術に精通していないからといって、彼に仕事がないとは言えません。彼は指導者であり、全体を掌握し総合的に手配する立場にあります。六識の仕事分担とは異なり、それぞれが責任を負い、調和して運営することで初めて国家全体を管理できるのです。五陰身も同様で、意根は高みに立って全体を統率します。意根が意識のように深く細かく具体的な塵境を了別し、思考・推理・整理・帰納・統計・分析・推敲を極めて緻密に行い、すべてを完璧にすることは不可能です。その精力がそれを許さないのです。禅定がある程度まで深まり、エネルギーが大きくなり、精力が旺盛になって初めて、六識に代わり六識を除去することができます。凡夫の意根は六識を用いて具体的な事柄に対処し、具体的な塵境に対応するほかなく、そうでなければ六識が存在する必要もないのです。

——生如法師の開示
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