かつて夜明け前に夢を見た。夢の中で、とても大切な二つの荷物をなくしてしまい、周りは混乱した見知らぬ人ばかりだった。この荷物はもう戻ってこないだろうと思ったが、その時も心は慌てず、むしろ冷静で明晰で理性的だった。まるで自分が夢を見ていると知っているかのように、素早く目覚めることを決意した。心に力を込めると、目を開けて覚めた。心は澄みきっており、しばらく安らかに横たわりながら、さきほどの夢を振り返った。夢の中で荷物を失ったなどということは、実際には何も起こっていない。私は何も失っていないのだと悟った。この夢は鮮明で、今でも記憶に新しい。誰もが夢の中で様々な事を経験するが、ひとたび目覚めれば何事もなかったかのようになる。まさに覚醒した状態に夢のない心は安らかで、執着も負担もないのだ。
このような夢は短くて覚めやすい。しかし生死の大夢はとても長く、容易に覚めない。人々は夢の中でもやもやとし、貪欲・怒り・愚痴に囚われ、業を重ね続ける。全ての人事物理が真実だと信じ込んでいるが、悟りを開いて覚醒した後には、全てが夢であったことに気付く。実際には何も起こっていなかったのだ。目覚めることができて本当によかった。しかしどうすれば早く覚醒できるだろうか。夢の中にあっても心を清明に保ち、これが夢だと知り、夢境に未練を残さず、覚醒する発心を持ち、定力と智慧と善根と福徳を備える必要がある。夢の中から暫時抜け出せなくても、善業と清浄業を多く行い、悪業を造ってはならない。悪業は心を覆い隠し、混濁させ、今が夢であると見分けられなくなり、幻の夢から離れようとする発心が生まれなくなるからだ。
生死の大夢において、全ての法は幻化されたものである。真実のように見えるが本質は偽りだ。心が清明でない時、偽りを真実と思い込み、様々な業行、特に悪業を重ねることで、夢境に流連し覚めることができなくなる。夢の中の人にとって善行、特に清浄行を行うことは極めて重要である。清浄行は心を澄ませ、夢境の本質を見透かし、迷い執着せず、離脱する願力を強め、定力を充足させ、智慧を深める。そうすれば速やかに覚醒し、太平の世に生き、心清らかに欲少なく、雲淡く風軽やかに、何にも囚われない境地に至る。だから無駄なことを探して身心を常に忙しくさせ、貪欲・怒り・愚痴の煩悩と悪業を重ねてはならない。世の中に執着すべきものは何もなく、放せないものもなく、心に掛かるものもない。心の悩みは全て夢の中の事柄であり、執着しても無駄だ。財・色・名誉・食欲・睡眠も掴み取れない。この世はただ一つの夢に過ぎない。多くの人が名利のために躍起になっているが、本当に価値のないことだ。
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