衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年08月20日    金曜日     第1開示 合計3491開示

三十七道品の条件を満たさずんば証果明心を得ず

前世において一度も我見を断ったことがない者、我見を断つ回数が少ない者は、初めて我見を断って預流果を証得するのが非常に容易ではない。我見を断つ必要条件である三十七道品は修めにくい。現在毎日禅定を修めている者なら誰でも知っているように、禅定は修めにくく、理にかなった観行はさらに難しく、観行の成果を得て法眼浄を得て空三昧を証得することは、はるかに難しいことである。一方、前世で我見を断った者は、今世では特殊な身分に属しており、娑婆世界にはこのような特殊な身分の者はほとんどおらず、極めて稀であると言える。 

自分は特別だと思い込み、三五年学んだだけで悟りを開いたと考える者がいるが、我見を断たなければ悟りを開くことはできず、悟りを開くことは我見を断つことよりもさらに難しい。だから安易に自分は悟りを開いた、明心した、あるいは何々菩薩であると考え、悟りを開いたと外部に公言してはいけない。その果報は非常に良くない。現在は特殊な時期であり、いくつかの特殊な現象が現れているが、それが地蔵王菩薩に大きな迷惑をかけている。この世代の者が命を終えた後、地蔵王菩薩は忙しくなるだろう。菩薩であることはあまりにも大変である。地獄が空っぽにならなければ、誓って仏にならない。明らかに仏の功徳と福徳を具足しているのに、仏の位を取らない。菩薩とはこのように心が空無我である。 

地蔵王菩薩に迷惑をかけないために、今は皆、本師釈迦仏の教えに従い、仏が説かれた修行の次第と基準に従って修行し、自分の三十七道品がどの程度に達しているかを厳しく点検すべきである。もしその中のいずれか一つでも満たされていないなら、自分が証果した、明心したなどと考えてはいけない。最も基本的な三十七道品が修められ満たされなければ、脱胎換骨することはなく、竜門を跳び越えられず、聖者になることはできない。

——生如法師の開示
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