前世において我見を断ったことのない者、我見を断つ回数の少ない者が初めて我見を断って初果を証得することは非常に容易ではなく、我見を断つ必要条件である三十七道品の修得も容易ではありません。現在毎日禅定を修している者も皆知っているように、禅定は修し難く、理に適った観行は更に困難であり、観行の成果を得て法眼浄く空三昧を証得することは更に更に困難なことです。前世で我見を断った者は今世において特殊な身分に属し、娑婆世界にこのような特殊な身分の者は数人もおらず、鳳毛麟角と言えます。
ある人々は常に自分を特別だと思い込み、三五年学んだだけで悟りを開いたとしますが、我見を断たずして悟りを開くことはできず、悟りを開くことは我見を断つことよりも更に困難です。故に安易に自分が悟りを開き明心したとか、既に何某かの菩薩であるなどと考え、対外的に悟りを開いたと宣伝してはなりません。そのような行いの果報は甚だ良くないのです。現在は特殊な時期であり、幾つかの特殊な現象が現れていますが、それが地蔵王菩薩に大きな迷惑を掛けています。この世代の者が命終した後、地蔵王菩薩は大忙しになるでしょう。菩薩となることはあまりにも容易ではなく、地獄が空くまで誓って仏とはならず、明らかに仏の功徳福徳を具えながらも仏位を取らず、菩薩とはこのような心空無我の存在なのです。
地蔵王菩薩に迷惑を掛けないためにも、今は皆本師釈迦仏の教えに従い、仏の説かれた修行の次第と基準に則って修行し、厳格に自らの三十七道品がどの程度に達しているかを点検すべきです。その中に何か一つでも満たされていない条項があれば、自分が果を証したとか明心したなどと思ってはなりません。最も基本的な三十七道品が修満されなければ、脱胎換骨することはなく、竜門を跳ぶこともできず、聖者となることはできないのです。
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