衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年02月13日    火曜日     第3 回の開示 合計35回の開示

誠心の懺悔による意根の心行と習気の改め

当面の懺悔とは、二人の如来蔵に宿る業種を消滅させることですが、必ずこの人が誠心誠意で懺悔し、その人もまた誠心誠意で懺悔を受け入れる必要があります。そうして初めて怨みを解き結びをほどくことができます。なぜ誠心誠意の懺悔と誠心誠意の受容が必要なのでしょうか。誠心・真実とは、意根が心の底から悔い改め、意根が心の底から受け入れることを意味します。ただ意根が悔い改め受け入れる時のみ、二人の如来蔵は新たに記録を作り、二人の如来蔵にあった過去の業種を相殺するのです。如来蔵の業種が消滅した故に、二人にはもはや怨結が残りません。

地上の菩薩が自らの如来蔵の業種を改めるとは、意識が意根を染め説得し、意根に自らの煩悩習気の危害性を看破させ、決意して悔い改めることで心性が変化し、如来蔵の業種が消滅することを指します。地上の菩薩はその深甚なる禅定力と智慧力、及び福徳力によって、自らの意根の心行と習気を改め、自心を清浄にし、自らの如来蔵の業種を消し去ることができるのです。

しかし意識による見せかけだけの偽りの懺悔は何ら実質的な効果がなく、往々にして心の機微を見破られるものです。

意識が懺悔したいと思いながらも意根の煩悩習気に抗えない場合、どうすべきでしょうか。その時は常に意根を糾弾すべきです。他人を糾弾できるならば、自らも糾弾できるはずです。自らを糾弾するとは自らの心を責めること。自らの不善なる心行を全て暴き出し、露わにすることです。意根が不本意で不快に思う場合も、時にそうする必要があります。もし意根が到底受け入れられず習気が強すぎるなら、無理強いせず少しずつ試行し、急ぎ過ぎないようにすべきです。さもなくば逆効果となり、自暴自棄になるのも致命的です。

——生如法師の開示
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