答:意根の思量 (manasikāra/manana) の結果と結論は、意識に知らせて処理させる必要がある場合、意根は意識を警覚します。意識に知らせる必要がなく、意識に措置をとって処理させる必要がない場合には、意根は意識を警覚せず、わざわざ意識に知らせようとはしません。
意根が意識を警覚する方法は、思心所を生起させて、どのように処理したいかという一つの決定を下すことです。意根の思量 (manasikāra/manana) の結果は一種の法塵であり、それから如来蔵 (tathāgatagarbha) が意根の決定を了別し、意根に配合して意識を出生させ、意根の考えや決定を了知させ、一定の措置や方法をとって、意根の決定と意志を完成させるのです。
たとえば、身の回りに鬼神の妨害があり、意識は不快感を覚え、あれこれ考えても、何が起きているのか分かりません。しかし意根はそれを知っていて、意識に通知する方法を考え、意識に回避させたり処理させたりしようとします。そこで意根は思心所を生起させて決定を下します。意根の心の中には言語も形象もない鬼神の意味があり、それが一種の法塵なのです。如来蔵 (tathāgatagarbha) はこの法塵のところで意識を出生させ、意識は鬼神の存在を感じ取り、それからこの件を処理する方法を考えます。あるいは経を読誦して回向 (pariṇāmanā) するか、あるいは呪を誦して駆逐するか、あるいは引っ越して避難するかです。意根が意識に知らせて警覚させる過程は、おおむねこのようなものです。もし意根が自分で処理できる場合や、軽微で重要でない事柄、意識が処理する必要のない事柄であれば、決定を下すことはなく、如来蔵 (tathāgatagarbha) も意識を出生させて意根の心思を了別させることはありません。
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