乳幼児の識心は非常に弱く、感知力が乏しく、思惟力も劣っています。彼らは勝解力がほとんどないため、憶念力は極めて低く、記憶力もほとんどありません。ただし、一部の特殊な状況は例外です。例えば、乳幼児には生来の習性があり、触塵に対する感覚は鋭敏ですが、耐受力は弱く、言語で表現することもできないため、少しでも気に入らないことがあると泣きわめき、これによって自身の不快な感覚を表現します。衣食住は触塵に属し、乳幼児は非常に敏感です。さらに飲食は衆生の生命活動に必須であるため、乳幼児は生来、飲食と衣食住に対して勝解を持ち、触塵に対しても勝解と記憶を有しています。しかしこれは特別な思惟によるものではなく、本能的なものです。また、飲食や身体上の触塵は常に存在し、乳幼児も頻繁に接触するため、飲食と触塵に定まっているとも言え、これに対して勝解、憶念、記憶を持っています。これ以外のことについては、乳幼児の記憶は非常に乏しいのです。
記憶は意識心の機能体性の一つです。胎児期において、意識が一旦現れると、記憶機能が存在するため、胎教が可能となります。胎教とは、胎児が母胎内外の音声を聞く際に、内心である程度の理解を持ち、感化を受けて教育を得られるようにすることです。胎児は母胎内で4~5カ月齢になると意識が生じ、その時点で感知能力を持つため、胎動現象が現れます。意識心が生じて初めて胎動が起こり、識心がなければ身体は動きません。意識心があるからこそ胎教の効果が得られ、そうでなければ胎教はほとんど意味を成しません。
意識心がなければ、勝解も記憶もなく、胎児は教育を受けられません。胎動は、意識と身識が共同で活動する現象であり、そうでなければ動くことはできません。意識と身識は母胎内の環境を了別し、了別後に感受が生じます。こうして身体には相応の反応が現れ、胎動現象が発生するのです。胎児が音声を了別する際、内心には必ず感受があり、内面の情緒が身体によって表現されます。それは静から動へ、あるいは動から静へという変化となって現れます。
以上に述べた勝解・定・憶念・記憶は、いずれも意識心の機能体性であり、意識心の五つの別境心所法に加え、欲と慧の心所法を含みます。意識と共同して分別作用を生じる五識も、五つの別境心所法を有しています。乳幼児は六識が存在する限り、必ず五つの別境心所法を具えています。ただしこれらの心所法の現れは微弱であり、出生後の生存経験の蓄積に伴って別境心所法の機能が強化され、記憶力もそれに従って増強されるのです。
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