記憶とは、記別と憶念のことであり、これは意識心の機能作用である。現在起こる全ての事柄、身・口・意による一切の造作には、意識心の参与と運作が伴い、意識が了別し造作した内容は随時随所に意根に引き渡される。意根は了別した後、それを種子として第八識心体に落謝し、第八識はこれらの内容を種子として貯蔵する。後に意根が攀縁し了別しようとする時、第八識は意根の思心所を了知すると、意根に随順して協力し、以前に貯蔵した種子を送り出す。これにより法塵が形成される。意根が法塵に触れた後、その了別慧が劣っているため具体的な内容を了別できず、思心所を生起させ、この法塵を了別しようと決定する。そこで第八識は協力して意識を出生させ、この法塵を了別させる。こうして意識は、いったいどのような法塵であるかを了別する。つまり、意識が以前の事柄を思い出すのであり、これが記と憶の過程である。
起こった事柄が不完全である場合、あるいは意根が注意を払わず、意識の了別と造作が軽微であれば、業行も軽微となり、第八識が貯蔵する業種も軽微となる。第八識が種子を出力する際に形成される法塵はあまり鮮明ではなく、意識の了別も不完全で不明瞭となる。俗に記憶が確かでないと言われるのはこのためである。例えば、私達が一つの文章を完全に暗誦せずに不完全なまま覚えた場合、この業行も種子として貯蔵される。第八識が再度出力する際、意識は完全に明瞭に了別できず、この文章を完全に暗誦することはできなくなる。
また別の例を挙げると、意根がある人物にあまり注意を払わず、その人物に対する作意が少なければ、思心所も相当の決定的なものとはならず、意識がその人物を理解し認識する度合いも不完全となり、印象も深くならない。この事柄も種子として貯蔵される。種子の縁が熟し、再びこの人物に遭遇した時、第八識が過去の業種を出力するが、意識はこの人物をはっきりと了別できず、この人物に対する印象はぼんやりとして不明瞭となる。
第八識が業種を出力して法塵を形成する際、業種が勝義根に出力される時に、もし勝義根に問題や障害(例えば小脳萎縮などの障害)がある場合、第八識が出力する影像と業種は完全に一致せず、顕現する法塵は真実のままではない。この時、意識心は正確無誤に了別することができず、顛倒した了別となるか、あるいは全く了別できなくなる。これが失憶症である。
勝義根が損壊されたり、脳が刺激を受けたり、あるいは脳が栄養不足に陥ったりすると、様々な程度の失憶を引き起こすことができる。したがって、学生は試験前に栄養を強化する必要がある。これは、勝義根中の四大物質成分を調和させ、
第八識が正常に内相分の影像を顕現できるようにするためである。そうしてこそ意識はこれらの影像を正常に了別でき、試験本番において思考が明晰となり、十分に力を発揮でき、試験成績も良くなる。
勝義根に問題がある場合、第八識が顕現する影像は混乱した情報となる可能性がある。そうなると意識の了別も混乱し、顛倒した了別や誤った了別が生じる可能性がある。他人はこの人物の精神が正常ではないと考えるが、当人自身は全く正常であると考え、少しも自分が正常でないとは思わないのである。
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