六識が生じる原則:根と塵が接触すると、如来蔵が識を生じる。もし根に変異が生じれば、識の了別性に障害が現れ、塵に変化が起これば、識の了別に障害が生じる。しかし識自体の識種子は永遠に変化しない。身体を構成する四大種子の構造は、常に業力と様々な縁によって変化し続けるため、物質色法は絶えず変化を繰り返す。神経伝導は全て身根である五根を通じて行われ、五根を離れることはない。如来蔵は五根に依って四大微粒子を伝導し、内六塵を変現する。如来蔵はまた勝義根に依って法塵を変現する。根と塵が変化すれば、識心もそれに従って変化し、了別には必然的に問題が生じる。
法塵は勝義根に依って変現されるため、勝義根に問題があれば、意識の了別には必然的に問題が生じる。五俱意識は五塵を離れず、五根を離れず、勝義根を離れて存在することはない。独頭意識も依然として勝義根を離れず、勝義根に障害があれば独頭意識も現れず、人は昏迷状態に陥る。もし独頭意識が勝義根と関係ないならば、植物状態の人間の独頭意識も正常に機能し問題がないはずである。しかし植物状態の人間の独頭意識は滅多に現れず、思考・分析・判断・推理ができず、ほとんど記憶を想起することもできない。よって我々が得た結論は:意識の現起は色法と密接な関係があり、脳の勝義根とも密接な関係があるということである。
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