欲界には五欲の楽しみ、すなわち色・声・香・味・触が存在する。一切の法には法塵が付随し、色法塵のみならず心法塵も存在する。心法塵とは六識心・七識心、および七つの識に属する心所法を指す。
衆生が最も捨て難いのは識心と心所法であり、特に受心所法と想心所法に執着する。このため禅定の修行は極めて困難を極める。常に了知しようとし、感受に意識を向け続けることで、意根は禅定に入ることを拒み、これらの受覚と了知性を滅することを望まないのである。
衆生が自我と一切の法に執着する本質は、実は阿頼耶識への執愛である。これら諸法は全て阿頼耶識の機能作用に他ならない。しかしながら、執愛しながらもその実体を知らないとは、なんと哀れなことか。欲界の衆生は権力を得れば捨てず、地位を得れば捨てず、金銭を得ても捨てず、自らの様々な享楽をいかなる手段を用いても放棄しない。あまりにも貪欲である。仏となることの殊勝さを知らず、貪るに値する尊さを理解せず、仏になろうとする心さえ持たない。なんと愚かな衆生たちよ。
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