衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年02月21日    水曜日     第1開示 合計84開示

作意心所法の生じる縁

問:意根の作意は、修行の要所であります。その意を知ることは、修行に大いなる助けとなります。特に禅定を修めるにあたり、その功は意根にあり、意根を知らずしてどうして禅定を語れましょうか。意根の作意の密意を知らなければ、どうして秘密に触れられましょうか。意根の作意は、全て貪瞋と相応し、これを超えるものはありません。もちろんこれは凡夫の意根であります。しかし仏菩薩の清浄なる意根は如何に作意するのでしょうか。貪瞋も欲の動力なき意根は、どうして作意するのでしょうか。意根は捨受の状態において作意し得るのでしょうか。意根は無記の状態において作意し得るのでしょうか。

答:意根の作意は、貪瞋などの煩悩心所によって引き起こされるほか、欲心所によっても引き起こされます。欲には善欲と悪欲、また不善不悪の欲があります。善欲とは大願力であり、悪欲とは貪瞋痴であります。意根の作意にはまた、習慣的な作意の一部があり、慣性作用によるものであります。

瑜伽師地論の原文:云何能生作意正起﹖由四因故﹕一由欲力。二由念力。三由境界力。四由数習力。云何由欲力﹖謂若于是処心有愛著﹐心則于彼多作意生。云何由念力﹖謂若于彼,已善取其相,已極作想﹐心則于彼多作意生。云何由境界力﹖謂若彼境界或極廣大﹐或極可意正現在前﹐心則于彼多作意生。云何由数習力﹖謂若于彼境界﹐已極串習﹐已極諳悉﹐心即于彼多作意生。若異此者﹐應于一所縁境,唯一作意﹐一切時生。

これが作意心所法が生起する縁であります:欲、念、境界、習性。すなわち欲と念がなければ、作意することはできません。特に意根の欲と念において、意根が作意して初めて六識が生起し、六識が作意できるのであります。

禅定を修めようとするならば、意根の慣性的な作意を制御し変化させ、その攀縁性を降伏させねばなりません。攀縁性とはまた意根の習慣的な作意をも指します。業種が成熟するか否かは、意根の作意と必然的な関係はありません。業種の成熟を如來蔵は自然に了知し、その後如來蔵は相応の法を運行するために、いくつかの縁を生起させるのであります。

——生如法師の開示
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