衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2018年02月22日    木曜日     第3 回の開示 合計91回の開示

どのような「知」が「正知」となるのか

問:私たちの心の中に「知」という変わらない観察者がいますが、これは意根でしょうか?夢の中の「知」と同じですか?なぜ眠るとなくなってしまうのでしょうか?この明覚した「知」を保つことが正知なのでしょうか?

答:心の中のこの知は変化無常なるもので、多くの場合において知ることができなくなるため、生滅無常なる意識の知性です。夢の中にもこの知があり、これも意識の知です。しかし一切の法には同時に意根の知も存在し、ただ意根が非常に深く隠れているため、その知性を発見し難いのです。

この知性を保ち、六塵の性質を明らかにすることは、修定の方法に属し、見道ではありません。もし明心の境界における意識の知でないならば、五陰の中に落ちた知は正知ではなく、第八識を知らず、第八識の働きを知らないため、生滅法のみを知り、不生不滅法を知らない、これが意識の不正知です。真の正知は第八識の知性、如来蔵の知性であり、五陰・十二処・十八界に染まらず、漏れがなく、無明がなく、生滅無常の変異性がない、これが真実の正、徹底的で究極的な正であり、生じることもなく永遠に滅びることがありません。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

衆生の如来蔵における七大種子同一、業種相異なり

次の記事 次の記事

仏法の修学は心性と技術の両面に精進すべし

ページのトップへ戻る