衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年02月23日    金曜日     第5開示 合計97開示

表義名言と顕境名言

問:このように理解してもよろしいでしょうか。私たちがほとんどの場合、表義名言を用いて世間法や出世間法を含む様々な問題を思惟する際、意根は確かに参与していますが、その参与は非常に浅いものです。訓練を受けていない場合、意識が顕境名言を用いて思惟することは困難です。修定などの訓練を通じて一定の定力を得た後は、表義名言を用いずに直接顕境名言で思惟することが可能になります。この時、意識と意根が共同で参与し、意根はより深く参与できるようになります。以上の見解は正しいでしょうか。

答:顕境名言とは、七転識の心と心所法が共同して様々な境界を浮かび上がらせ、他者に理解・了知させることを意味します。この機能は七転識全てが有しており、意根だけのものではありません。表義名言とは、文字・語・句を用いて内面の思想や境界を表現し、他者に理解・了知させるものです。これは意識が有する機能作用であり、意根も五識もこれを有しません。

表義名言は言語文字と覚観思惟に分かれます。覚観思惟もまた意識の特性であり、意識は六塵境界を了知した後、それに対して覚観を起こし、思惟を巡らせることができます。意根にはこのような表面的な機能作用はなく、意根の作用は隠微で深遠、密やかであり、認識が困難ですが、その作用は非常に大きいものです。もし二つの識の識種子が分流や他の法塵の分別を減らせば、その作用力は甚だ大きく、一切の法を克服し、了別慧はさらに強大となります。定力が増強するにつれ、第六識・第七識の顕境名言作用が顕著になり、意根の作用が十分に活用・発揮されるようになれば、その了別機能は一層強大化し、一切の法を透徹して思惟し、智慧が湧出する可能性があります。

——生如法師の開示
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意根の法は意識より深細なり

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