問:このように理解してもよろしいでしょうか。我々がほとんどの場合、表義名言を用いて様々な問題を思考する時、世間法と出世間法を含め、意根は確かに参与していますが、その参与は浅層的です。訓練を経ていない場合、意識が顕境名言を用いて思惟することは困難です。修定を通じて一定の定力を得た後は、表義名言を用いず直接顕境名言で思惟できるようになります。この時、意識と意根が共に参与し、意根はより深く関与できるようになります。以上の認識は正しいでしょうか。
答:顕境名言とは、七識の心と心所法が共同して様々な境界を顕現させ、他者に理解させる機能を指します。この機能は意根のみならず七識全体に備わっています。表義名言とは、文字・語句・文章によって内心の思想や境界を表現し、他者に理解させるもので、これは意識固有の機能であり、意根や五識にはありません。
表義名言は言語文字と覚観思惟に分かれます。覚観思惟も意識の特性であり、意識は六塵境界を了別した後、それに対する覚観と思考を起こします。意根にはこのような表面的機能がなく、その作用は隠微で深遠、目立たず気付き難いものです。もし二つの識の識種子が分流を減じ、他の法塵を分別することが少なくなれば、その作用力は極めて強大となり、一切法を克服し、了別慧がさらに強化されます。定力が増大する時、第六・七識の顕境名言作用が顕著になり、意根の作用が十分に発揮され、その了別機能が強大化し、一切法を透徹して思惟できるようになり、智慧が湧出するのです。
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