衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年02月24日    土曜日     第1 回の開示 合計98回の開示

意根の法は意識より深細なり

眠っている時、布団が重いと感じると、自動的に寝返りを打ちますが、その時自分はそのことに気づいていません。この時、身識と意識は存在するのでしょうか。寝返りも識の機能作用です。根(感官)自体は受動的な受信機と伝達器であり、識がなければ根は木や石同然です。意根が寝返りを打とうとし、六識が現れて身体を動かします。この時、微弱な身識と意識が存在します。なぜ意根が主導して寝返りを打つのでしょうか。布団の重さを了別したため、意根がこの法塵と接触し、身体に影響があると認識したからです。そこで身識と意識を引き出して了別させ、身識と意識が重苦しさを感じると、意根は寝返りを決断し、身識と意識が共同で寝返りを実行します。もし寝返りの回数が多ければ、睡眠の質が低下し、翌日身体の疲労を感じます。六識が頻繁に現れるため、身体が十分に休めないからです。もし眠っている時の寝返りが六識の作用でないならば、昏睡状態で意根が身体を動かそうと思えば、実際に動かせるはずです。しかし昏睡状態では、意根が常に身体を動かして意識を回復させようとしても、身体は動かせません。

夜中に寝返りを打つ時、身体が疲労し意識心が弱いため、自身の動作を必ずしも内観できるとは限りません。意識心の強弱によって内観力も異なります。そのため、自分が夜中にどのような状態で何をしたかを知っている人もいれば、知らない人もいます。知らない場合は睡眠が深く、睡眠の質は良好ですが、それでも意識は迅速かつ微弱に了別しています。意識が微弱な時は、自分自身の存在や動作をほとんど感じず、意根の作用が顕著になります。意根が直接了別する内容は、多くの場合意識心が把握できず、また意根には名言(概念表現)がないため、それを表出することができません。

意根は全ての法を黙って包含しますが、意識はそうではありません。従って意根の了別する内容は常に意識より多く、はるかに深微です。故に意根の法は意識より深微で重要であり、成仏の可否は全て意根にかかっています。意根の運作自体を単純或いは複雑と評することはできません。意根の了別する智慧は未熟であり、意根は自らが法塵に触れ、法塵を了別する運作を内観分析できないからです。法塵が極めて重要であるため、自らの了別が不鮮明な時、意識を喚起して了別させるのです。

——生如法師の開示
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