解悟とは、如来蔵が大まかに作用している状況を推測したようなものであり、現量観察によって得られたものではなく、眼前の物を見るような明瞭さを有していない。推測による理解では、意根が依然として明らかでなく、心に不安定さが残り、確信に至らず、容易に転倒されやすい。この状態では第八識の具体的な働きを観察することができず、真実の大いなる智慧を生じることはできない。一般的な理解と領解は解悟の境地とはかけ離れており、解悟と証悟の隔たりは極めて大きい場合もあるが、これは主に日頃の六波羅蜜の条件如何によるものである。
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