衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年02月27日    火曜日     第4 回の開示 合計115回の開示

六識の現量了別(四)

鼻が香りを嗅ぐ時、香気は現前に存在する現量の境である。鼻識と意識は共にこれらの現量境を了別し得る。鼻識は第一刹那に香気が鼻粘膜を刺激する程度を現量で了別し、続いて意識は第二刹那に香りか臭いかを了別する。その後、意識はどの種類の香りまたは臭いか、香臭の程度、発生源の物体、自身からの距離などを了別する。これらの法塵に対する意識の現量了別には、比量や非量の了別が混在する可能性がある。意識の香気に関する知識が不完全であるため、完全な現量了別とは言えない。智慧が円満に達した時のみ、一切法を現量で了別することが可能であり、これは仏陀のみが成し得る境地である。

もし仏陀が比量や非量による了別を必要とするならば、仏陀は一切種智の所有者とは言えず、智慧に未だ円満ならざる点があり、現量で知り得ない法が存在することを意味する。その場合、一切種智を具えた仏陀とは称されず、妙覚菩薩に留まるであろう。仏陀は現量によって世間の一切法を円満に了知し、比喩や思考に頼ることなく、智慧徳能を円満に具足されている故である。

飲食を味わう際、舌識は飲食の粗い味塵を現量で了別する。第一刹那の了別は必ず舌識によるものであり、第二刹那には意識の了別が生じ、その後は二者が同時に了別する。意識心は飲食の微細な味塵を了別し、具体的な酸味・甘味・苦味・辛味・塩味・淡味及びその程度を弁別する。味が強すぎる場合、適応できなければ飲食を吐き出すが、これは意識の現量了別による結果である。当然ながら比量や非量の了別も混在し、記憶に基づく了別は比量、飲食の味を想像するのは非量に当たる。味塵に関する知識が限定されている場合、比量や非量による了別を用いることになり、その結果は往々にして誤りとなる。現量了別でさえ時には誤りを生じ、必ずしも完全に正確とは限らない。意識が比量や非量で了別する時、これは意識の独頭境界であり、前五識はこの了別に関与しない。

——生如法師の開示
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