衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年02月27日    火曜日     第3 回の開示 合計114回の開示

六識の現量了別(三)

耳が音を聞くとき、耳識は現量において音の音量や振動数を弁別し、意識心もまた現量の面で弁別を行う。その弁別の内実は、耳識の弁別内容よりもはるかに豊富である。意識が弁別する現量境とは、現在伝わってくる音の微細な法塵であり、過去に聞いた音の追憶でもなければ、現れていない音を空想するものでもない。意識は音を比較分析することなく、音の内実を了知することができる。これが意識の現量弁別である。例えば話し声を聞いたとき、意識心は即座に音の発生源・音質・内容などの情報を認識し、誤りなく判断する。これが現量弁別である。意識は比量弁別を行う場合もあり、思考・推理・判断・比較などの方法を通じて音の内実や話者の隠れた意図を弁別する。意識は時に正しく弁別することもあれば、誤って弁別することもあり、誤った弁別は完全に非量弁別となる。

また風雨の音を聞く場合、耳識は直接現量において風雨の音の振動や音波が鼓膜に与える衝撃を弁別する。意識は風雨音の大小・粗密・発生源・方向・緩急などの内実を弁別する。意識はこれらの内実を直接弁別でき、比較分析を必要としない。これが現量弁別である。しかし時に比較・分析・思考・推理が存在する場合もあり、意識は比較と想像の思考を借りて初めて明確に判別できる。これが比量弁別である。もし弁別を誤れば、完全に非量弁別となる。意識は耳識の参与を離れ、単独で比量と非量の弁別を行うことができる。意識心が弁別を行う際、耳識心が現行しなければ意識は音を弁別できず、二つの識心が同時に存在して初めて現量において音を弁別できる。よって意識が五塵において行う現量弁別には、常に前五識の参与が必要となる。

——生如法師の開示
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