原文:さらに三種の因より生ずる有漏法の因がある。もしこの中で正理にかなわぬ方便を修めるならば、諸々の苦を生じうる。もし正理にかなう方便を修めるならば、苦と因とを知り断つことができる。すなわち欲界に係わる法に対する染汚の希求、色界・無色界に係わる法に対しても同様である。
釈:さらに三種の因によって有漏法を生じさせる因があり、それによって無漏を成就できなくなる。この三種の因とは:第一に、欲界において自心を係縛して解脱を得られなくする法に対し、染汚の意を生じ、希求の心を起こし、欲界の法に貪着して離脱できないこと。第二に、色界において自心を係縛して解脱を得られなくする法に対し、染汚の意を生じ、希求の心を起こし、色界に貪着して離脱できないこと。第三に、無色界において自心を係縛して解脱を得られなくする法に対し、希求の心を起こし、貪着して捨てず、解脱を得られないことである。
この三種の有漏法を生じさせる因は、修行においてその過患を正理にかなって観察できず、相応する対治方法がない場合、最終的に苦悩と生死の過患を生じさせる。修行の過程において、その過患を正理にかなって観察し、相応する方便の方法で対治し、三界への希求と欲求を遠離すれば、三界の苦因を知り、苦悩と生死の過患を断ずることができる。
三界の世俗法は表面的には六識を係縛するが、実際には主に意根を係縛する。意根が三界の法に執着するからこそ、五蘊が三界に生じ生存し、三界で生死輪廻するのである。もし意根が三界の法に貪着しなければ、六識の貪りは作用せず、ましてや六識は断滅法であり、投生の時点ですでに滅している。
意根の貪執によって業種が如来蔵に蓄積され、来世必ず意根の貪執と業種の縁によって三界に投生する。意根が欲界に貪執すれば欲界に係縛され、色界に貪執すれば色界に係縛され、無色界に貪執すれば無色界に係縛される。もし意根が欲界にも色界・無色界にも貪執するならば、色界や無色界に生まれることは不可能で、必ず最も低い次元の貪執に係縛される。
したがって欲界において欲を断とうとするならば、単に意識表面の断欲だけではならず、内心深くにある意根もまた欲を断たねばならない。そうでなければ初禅定を得ることもできず、欲界を離れて色界や無色界に生まれることもできない。色界や無色界への貪執についても、理は同じである。
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