衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2018年03月03日    土曜日     第5開示 合計137開示

前五識と五俱意識の了別の順序

眼俱意識の最初の識の種子が生じるのは、必ず眼識の種子が生じた後に起こり、その後二つの識の種子が同時に生じ、前後はない。二番目以降の眼識の種子の生起には、必ず意識が伴って運行しなければならず、そうでなければ生じることもできない。私たちはぼんやりと心を遊ばせて自ら体験してみることができる。色(物質)を見るとき、眼識が先に知覚するのか、それとも意識が先に知覚するのかを。もし意識が先に知覚するならば、意識が見る形と色の中には、いかなる種類の色彩も存在せず、白や明るさもなければ、黒や暗さもなく、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫もさらにないのか? 明らかにそうではない。

さらに観察し体験してみよう。色を見なくなったとき、意識が先に消えるのか、眼識が先に消えるのか、それとも同時に消えるのか。理論によれば、意識が先に消え、眼識が後に消える。なぜなら法塵(意識の対象)は色塵(眼識の対象)に依存して初めて顕現できるからである。例えば、形の長短や方円は、もし色彩という色塵がなければ、長短方円を映し出すことができない。もし色塵が存在せず消滅したなら、法塵は確かに存在し続けることはできない。そして法塵が消滅しても、色塵はまだ一刹那だけ留まることができるが、それはほんの一刹那であり、第二刹那はありえない。もしそうでなければ眼識は単独で存在できてしまう。色塵がなくなったのに法塵がまだ存在するということはありえず、これは絶対に不可能である。したがって眼識が意識より先に消えることはありえない。目覚める時はこれとは逆で、必ず先に意識があり、後に五識(五感の認識)があるか、あるいは独頭意識(単独で働く意識)が五俱意識(五感と共に働く意識)に転じ、その後五識が生じるのである。

——生如法師の開示
前へ前へ

瑜伽師地論選釈

次へ 次へ

視覚残留現象に関する

ページトップへ戻る