よく観察し体験してみれば分かることですが、私たちが物体を見る時、最初の刹那には目の前の物体の色合いを見ています。必ず最初に物体の色彩を認識し、ぼんやりとした色合いがまず現れます。第二刹那になって、ようやく意識心が分別を始め、この時わずかに影像を認識します。第三刹那になって、その影像がどのような色塵であるかを知ることができ、この時色塵の形状が現れます。その後になって初めて色塵の本質的特質を理解し、その色塵の具体的な名称・概念を知ることができるのです。目の前のソファーであれベッドであれ机椅子であれ、これらの物体の名称・形状・本質・内実を明瞭に見極めた時、これを了別と言います。
より複雑なものを了別しようとする場合、必要な了別時間はさらに長くなります。例えば人を見かけた時、その人の年齢を了別し、その人の気質・教養・品性などを判断する場合、意識心が分別する時間も長くなり、眼識が観察する時間も長く必要です。この二つの識が必ず共同で調和して作用して初めて、その人を明確に認識できるのです。このうち眼識は色彩のみを分別し、色彩以外の全ては意識心によって了別されます。意識心の仕事量は非常に膨大で、意識が了別する内容は極めて多いため、意識心は非常に重要だと言えます。特に仏教を学び修行する際には、意識を用いて思惟観行を行う必要があるため、意識は仏法を修学する上で極めて重要な修証の道具です。もし意識の参与がなければ、私たちは仏道修行ができず、禅を参究して道を悟ることも、成仏することもできません。したがって私たちは意識心を捨て去って使用しないわけにはいきません。もし仏教修行において思惟も観行も行わないのであれば、それは愚痴と何ら変わらないのです。
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