色塵がなくなれば、識の出生には重要な縁が欠け、第八識は六識を生じることができず、当然六識の存在もなくなります。色塵が消滅する時、元来色塵を認識していた眼識と意識は直ちに滅し、識が滅すれば色塵を認識できず、認識対象もなくなります。故に第八識は無始劫以来の刹那毎に休む暇もなく、休息も止まることもなく、このように労を厭わず絶え間なく運作し、私達のために無私に奉仕し続けているのです。
もし人が「眼識だけで色を見ることができる」と主張するなら、これは可能でしょうか。不可能です。一つの色相には顕色・形色・表色・無表色があり、顕色とは色彩つまり青黄赤白の色を指し、眼識は顕色のみを分別でき、形色・表色・無表色を分別できません。人が色を見る場合、単に色塵の顕色を見るだけでなく、色の形状・内包(形色・表色・無表色)をも認識し、色の本質は何か、色の名相は何かを了知しなければ分別を完成できません。従って意識の参与による認識が必須であり、これによって初めて色塵を明瞭に了知できるのです。色彩以外の色は全て法処所摂色に属し、これは意識心によって認識されます。青黄赤白等の色彩のみが眼識によって認識され、眼識と意識の二者が共同で和合して認識することによって、初めて色塵の実態を知ることができるのです。
従って一つの色を観察し、色塵の実態を明瞭に分析判断するには、必ず眼識と意識が共同で和合運作し、二者が共同で分別することによって初めて面前の物体が何であるかを認知できます。面前の書物、机椅子、杯――これらの物体には色彩だけでなく長短方円の形状、材質・質感などの内包が存在し、分別すべき内容は多岐にわたります。眼識のみで完全に認識することは絶対に不可能で、必ず意識が眼識と同時に分別に参与し、二者が和合して運作することによって初めて、これらの物質的色法を明瞭に認識できるのです。
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