心所は識の助伴であり、識が存在すれば五遍行心所法が伴います。ある心所法は、六識が生起して運行する際に必ずしも現前に現れる必要がなく、その場合は遍行心所法とは呼ばず、五別境心所法や煩悩心所法、あるいは善心所法となる場合があります。これらの心所法は常に現前するものではありません。遍行の意味は、識が存在すればこの心所が伴うことであり、心所と識は不可分に随伴することを指します。五遍行心所法と如来蔵の遍在には区別があり、如来蔵の五つの遍在とは、如来蔵の本体が一切の時・場所・処・界・法の運行に遍く存在することを指します。如来蔵本体の運行にもまた、独自の五遍行心所法が随伴しています。
識は全て心所法の形式によって運行しており、心所法には種子が存在しません。種子から生成されるものではなく、ある識が現前するやいなや、その識は心所法の形式で運行します。心所法は識の運行に随伴するもので、識の助伴です。心所には種子がなく、第八識にも心所法の種子は保存されていません。他の諸識にも心所法の種子は存在せず、心所法に種子がないことは、無明にも種子がないのと同じ道理であり、心不相応行法にも種子がないのと同じ理屈です。
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