衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月10日    土曜日     第3開示 合計183開示

真妄不分の誤解はなぜあるのか

人の思想は、意識心が分別、分析、判断、思惟、推理、比較などの心理活動を通じて形成される観念や見解である。意識心の体性には粗いものと細かいものがあり、細かい時には、私たち自身ではなかなか気づきにくく、多くの場合、意識心は刹那刹那に作用し、常に認識している。意識が滅した時のみ作用せず、了別性がなくなる。それ以外の時間は、意識が存在する限り意識が法塵を分別しているが、私たち自身はそれを反観できない。なぜ反観できないのか?智慧が不足し、定力も備わっていないためである。

意識が法塵を分別していることを反観できない時、ある者は自分がすでに無心の状態に達したと言い、あるいは自分には念がないと言う。またある者は、妄想念がなく念もない真心を証得したと言うが、この誤解は甚だ大きい。これは明らかに真と妄を区別できておらず、『般若心経』を全く理解していない証左である。心経は真心は不生不滅であると説いているのに、彼は妄念のある意識を妄念のない意識に変えた時、それを真心だと見なしている。このいわゆる真心は生滅法であり、妄念がある時は真心は存在せず、妄念がない時は真心が再び現れる。これは完全に仏の説かれた真心ではない。

——生如法師の開示
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