人の思想は、意識心が分別・分析・判断・思惟・推理・比較などの心理活動を通じて形成される観念や見解である。意識心の本質には粗いものと細かいものがあり、細かい状態では自らが気付き難く、多くの場合、意識心は刹那刹那に作用し続け、常に認識活動を行っている。意識が滅尽した時にのみその作用を停止し、分別性を失う。それ以外の時間、意識が存在する限り意識は法塵を分別しているが、我々自身はこれを内観することができない。なぜ内観できないのか。智慧が不足し、定力も備わっていないためである。
内観によって意識が法塵を分別している状態を把握できない時、ある者は自らが無心の状態に達したと主張し、ある者は無念になったと語る。更に、妄想念なく無念の真心を証得したと称する者も現れるが、これは甚だしい誤解である。これは明らかに真実と妄執の区別がついておらず、『心経』の根本的な理解を欠いている。心経が説く真心は不生不滅であるのに対し、彼らは妄念ある意識を妄念なき意識に転じた状態を以て真心と見做している。この所謂「真心」は生滅法に属し、妄念ある時は真心が存在せず、妄念なき時のみ真心が現れるという完全に仏説に反する解釈である。
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