識の種子は刹那刹那に生滅し、眠って夢がなく、昏倒し、正死位に入り、無想定に入り、滅尽定に入るという五つの状況下では、六つの識は必然的に滅び去り消滅する。したがって、識心は生滅変異し、無常であり、苦であり、空であり、無我である。第七識が存在し運行している限り、第八識がそれに従い、第八識は従者のように付き従う。二つの識の体性は非常に異なり、かつ密接に結びついている。第八識が最も微妙甚深であり、次に第七識もまた微妙甚深であり、さらに次に第六識も微妙甚深であり、最後に五識も微妙甚深である。八識心王はすべて微妙甚深であり、八つの識の体性をすべて余すところなく了知すれば、衆生は成仏する。
非想非非想処天では、第六識は極めて微細である。定の次元が高ければ高いほど、意識心はより微細になり、その了別性はより弱くなる。非想非非想処天のその定は三界の世俗の中で最も高い定であり、意識はそこで入定する。この時の意識心には証自証分がなく、自らの存在を反観することができず、つまり自らが存在していることを知らない。他の定の中では、意識心はなお自らを反観し、自らの存在を知ることができる。初禅定と欲界定の中の意識心は、なお五塵上の法塵を了別することができる。二禅以上の定の中の意識は、五塵上の法塵を了別することができなくなる。なぜなら前五識がすでに消滅しており、意識は単独で前五塵を了別することができないからである。したがって、意識は生滅変異するものであり、真実で永遠に存在するものではない、つまり無我であると言われる。五識もまた同様であり、第七識もまた同様である。
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