衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年03月13日    火曜日     第1開示 合計196開示

識心の我は仮我

独頭意識の生起には、第八識と意根が必要であり、意識自身の識種子も必要であり、法境(ほうきょう、法塵)の参与も必要である。この時、独頭意識が現起するために必要な縁は、五俱意識に必要な縁よりも少なく、また五識が現起するために必要な縁よりも少ない。したがって、散乱位の独頭意識が最も現起しやすく、これにより我々の心が散乱しているときが多いことが分かる。そのため、禅定を修めるのは容易ではなく、物事を行う際にも集中しにくく、いつもあれこれと考えたがり、あれこれと思い巡らし、時には心の中で何を考えているのか、自分でも何を考えているのか分からないことがある。これらの独頭意識は、すべて意根が万法に攀縁(はんえん)することによって生じるもので、その根源は意根にある。したがって、意根を降伏させ、意根が至る所に攀縁しないようにしてこそ、我々は心念を専一にすることができ、意識心も禅定を得ることができる。

独頭意識心の生起にも一定の条件が必要である以上、この意識心は因縁によって生じたものであり、自在なものではない。因縁によって生じた法は、生滅無常のものであり、根本的に我ではなく、移り変わる法は恒常的ではなく、苦である。苦であるものは我ではない。真実の我は苦ではなく、常であり、生滅するものではなく、断続するものでもない。それ(真我)は如何なる条件にも制約されず、本来から存在し、生々滅滅の現象が一切ない。それこそが真我である。これ以外のものはすべて虚妄であり、幻化した仮我である。様々な条件に制約されるものは真実ではなく、したがってすべて我ではない。常にこの理を思惟すれば、次第に自らの思想を転換させることができるようになる。

——生如法師の開示
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意識を我とする我見の断除(七)

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我見を断つことの重要性

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