衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年03月14日    水曜日     第3 回の開示 合計201回の開示

眼識と意識による色塵の了別原理

目という浮塵根が外の色塵と接触するとき、実際に色塵の四大微粒子を摂取するのは眼根ではなく如来蔵である。眼根はあたかもカメラのようなもので、単なる道具に過ぎない。如来蔵は眼根という道具を通じて、外の色塵上の四大微粒子を摂取する。これを摂取した後、眼根・眼球・硝子体・視覚伝達神経を経由し、後頭部の眼根に当たる勝義根に到達させ、直接そこに外色塵の影像を形成する。このうち色彩は色塵の顕色に属し、法塵とは法処所摂色のことで、形色・表色・無表色の三つを含み、これらを合わせて法塵となる。

色彩は比較的単純で複雑ではないため、眼識は比較的速やかに了別できるが、法塵は複雑で認識・弁別が困難であるため、了別に要する時間が相対的に長くなる。第一刹那に顕色が眼根と接触した後、如来蔵が眼識を生じる。第二刹那に意根と法塵が接触すると、如来蔵が再び意識を生じる。これにより、第一刹那の眼識による了別と第二刹那の意識による了別という関係が正確に対応する。その後、眼識と意識が共同で色塵を了別し、これによって了別されるものが完全な色塵となる(これは第三刹那以降のことである)。

なぜ第一刹那には必ず先に眼識が生じて顕色を了別し、その後でなければ意識が形色・表色・無表色を了別できないのか。それは顕色が必ず先に形成され存在しなければ、形色・表色・無表色を顕現できないからである。これら三種の色法は顕色を基盤とする。例えば形色における大小・方圆・長短は、顕色の色彩が背景になければ表示できない。表色は顕色と顕色によって初めて顕現され、顕色と形色を基盤とする。無表色は顕色・形色・無表色によって顕現され、顕色・形色・表色を基盤とする。よって、先に顕色が存在するため、眼識が先に生じて顕色を了別し、意識が後に生じて法塵を了別するのである。

——生如法師の開示
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