衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年07月10日    土曜日     第3 回の開示 合計3479回の開示

意識は想い、意根は為す

一切の法は何も得ることがなく、『心経』には「無所得なるが故に、菩提薩だ」と説かれ、『金剛経』には世尊が心に所得なきが故に燃灯古仏より授記を受けたとある。ある人々は考える──既然すべての法に得るものがなく、我も我所もないのなら、一切の努力を放棄し、思考さえ停止し、無為に過ごせばよいのだと。そう考えると、心は非常に楽に感じますが、この状態は長続きせず、直ちに再び有為に戻り、縁・事・人に遭遇すれば全く無為ではいられません。

諸法空相を証得していない段階において、意識が空と認識するものは、何らの力もなく、全く主導権を握れず、あるがままに存在し続け、微塵も空しくなることはありません。意識が動かさず造作しないことを望んでも、五陰身を主宰できず、主導する意根が追求心を抱き、何かを造作しようとすれば、意識は従順に従うほかなく、全く手段がありません。故に意識が理を明らかにしても、意根が理解しなければ、いかなる本質的な問題も解決できず、煩悩は相変わらず煩悩のまま、無明は無明のまま、生死は生死のままです。主導するあの意根を制御してこそ、一切の問題を解決し、天地が覆るほどの変化が起こるのです。

——生如法師の開示
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