衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2021年07月10日    土曜日     第1開示 合計3477開示

いかなる禅定において証果を得ることができるか

禅定はまた三三昧とも呼ばれ、第一は有覚有観三昧、第二は有覚無観三昧、第三は無覚無観三昧である。第三の無覚無観三昧は無尋無伺とも呼ばれ、二禅の定境であり、五識が滅し、意識が微弱となり、覚知がなく、観や反観力もなく、どのような境界があるかも分からず、自分が入定したことも分からない。二禅定においては智慧が弱く観がないため、無我などの智慧を起こすことができず、故に二禅では証果を得られない。

第二の有覚無観三昧は、初禅から二禅への中間定であり、五識があり、意識による覚知があり、自分が入定したことを知っているが、意識に観がなく、反観もなく、その覚知の智慧は強くも弱くもない。この定には観がないため、我見を断って証果を得ることは非常に困難である。ただ初禅の定境においてのみ、有覚有観であり、一心に専一し、観察力が強いため、容易に我見を断って証果を得られる。三三昧に至る前の未到地定においても、禅定力が非常に強く、一心に専一しているため、我見を断って証果を得ることも可能である。 定を修め観行して伺の状態に達すること、これが参禅の功夫であり、この功夫を成就させれば、永遠に利益を受け、何故ならば如何なる法の証得も、全て伺の状態において証得されるからである。もう少し浅い定には、解の成分があり、智慧はあまり真実で信頼できるものではない。

——生如法師の開示
前へ前へ

円満なる見道の条件を満たしてこそ修行成就

次へ 次へ

初禅定と明心証果

ページトップへ戻る