衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年03月15日    木曜日     第3 回の開示 合計206回の開示

大念処経における外心と内心

仏が大念住経において五蓋を説かれる際、内貪欲と外貪欲、内瞋恚と外瞋恚、内睡眠と外睡眠、内掉悔と外掉悔、内疑惑と外疑惑を挙げられました。内と外はそれぞれ何を指すのでしょうか。

心を内外に分ける場合、外心とは衆生が普遍的に対象化し観察可能な心意識を指し、内心とは衆生が容易に対象化し観察できない心意根を指します。二つの識心は一顕一隠、一明一暗、一浅一深、容易に変化するものと堅固で改め難いものに分かれます。修行とはまず浅層の意識に実践を落とし込み、次に深層の意根に実践を落とすこと、すなわち意識を初歩的に転換し、最終的に意根を究竟的に転換することです。故に全ての煩悩無明は、最初に顕著に現れるのは意識層面のものであり、最終的で隠微深奥なるものは意根層面に存します。

本経典から窺えるように、仏が小乗の法を説かれた際、意根の法を明示されなかったものの、意根について暗に示されました。一切の煩悩無明が意根に属すること、煩悩を断つとは意根の煩悩を断つこと、解脱とは意根の解脱であること、一切法は意根に帰着すること、意根の問題を解決すれば一切法を解決し、最終的に涅槃と解脱を究竟することを、暗に説かれていたのです。

——生如法師の開示
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