衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年03月16日    金曜日     第4 回の開示 合計214回の開示

意根の三界一切法に対する貪執

五蘊十八界の運営は、全て如来蔵によって送り出される七大種子の機能作用である。七大種子が六根六塵における運営、地水火風空が色身における運営、そして識種子が識心における運営は、全て五蘊の運営に現れている。識種子・四大種子・空大種子が見大種子と共に運営する時、五蘊は生じる。如来蔵が種子を送り出すことによって種子の機能作用が形成され、この種子の機能作用は即ち如来蔵の機能作用であるが、如来蔵とはまた異なる面もあり、二者は不即不離の関係にある。如来蔵自体が有する種子が一切の法を幻化し、種子と一切の法は全て如来蔵に属する。如来蔵は収蔵と放出が可能であるため、一切の法は全て如来蔵のものである。

しかし如来蔵には七識の心行がなく、完全に無我性であり、如何なる法にも執着せず、心の本性は本来清浄である。一方、意根は如来蔵が幻化した一切の法を全て「我」「我のもの」「私が所有するもの」と執着し、六識の機能作用を「私」と「私のもの」と認識し、それらが全て如来蔵によって生じ如来蔵に帰属することを知らない。意根は如来蔵が幻化した法に執着しながらも、如来蔵の存在と幻化作用を理解せず、如来蔵が業種と業縁に基づいて五蘊十八界を生じさせる中で、如来蔵によって運び出されていない法は一つもない。しかし意根はそれらを全て自己の所有物と思い込み貪着するため、その貪執性によって三界に繋縛され、解脱を得ることができない。繋縛されているのは意根であり、六識ではない。なぜなら万法を執取して放さないのは意根であるからである。

——生如法師の開示
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