衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年03月16日    金曜日     第5 回の開示 合計215回の開示

解脱の心をいかに生起すべきか

心の機能は受・想・行・識の作用であり、識別し分別し、執着し、感受し、選択する働きです。あらゆる法に対して喜怒哀楽や憂い悲しみ苦悩を生じさせるこれらの作用は、全て如来蔵の識種子によって引き起こされます。七大種子が送り出されると、七識の心行と六塵の境界は泡のように現れます。無始劫より意根は常に泡をつかんで無常相を常相とし、苦空煩悩相を楽相とし、五陰無我相を我相とし、六塵六識の不浄相を浄相と見做し、これらの泡を全て我や我のものと執着し、苦・空・無常の法を我及び我のものと執着してきたのです。

これらの法を把捉するが故に、意根は三界を離れ解脱を得ることができません。この道理を理解した後、私たちは今生において解脱の心を起こし、これらの法が如何に虚妄で実体のないものかを了知し、何を因縁として生じ何を因縁として滅するのかを努力して知り、無常無我の幻化した有為法を再び執取しないようにすべきです。あらゆる感受、たとえ楽受であっても無常であり留めておくことはできず、境界相が来れば楽受が生じ、境界相が滅すれば楽受もまた滅し、常恒不変に存在する受や法は一つもありません。

六塵は全て脳裏に現れる虚妄の影です。私たちは皆これらの影を執取して様々な受と想を生じますが、影が真実でないように、生じた受と想も同様に真実ではありません。全ての法は刹那刹那に絶えず生滅しており、過去は既に過ぎ去り、現在は瞬時に過去となり、未来はまだ来ていません。意根は過去・現在・未来のいかなる虚妄相をも把捉することはできないのです。

世間には本来その人も事も理も存在せず、世間そのものも存在しません。ちょうど鏡に映った影に向かって泣き笑いし、心を動かし念を起こし、種々の業行を造作しながら、向き合っている全てがただ虚妄の影に過ぎないことを知らない様は、愚かな犬が鏡に映った自分の影に向かって吠え続けるが如く、愚かな猿が湖面に映った月の影を掬おうと水に飛び込むが如く、衆生はこのように愚痴なのです。愚痴を離れ智慧による解脱を得るためには、真理と真実を認識し、一切の法を執取せず、我執と法執の二つの執着を断じなければなりません。

——生如法師の開示
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