問:座禅中に、独影境を縁じる場合、五塵境を縁じる時よりも禅定が深くなるのは、どのような理由ですか?
答:五塵境を縁じる時は、六識がすべて活動します。眼識は見ようとし、耳識は聞こうとし、鼻識は嗅ごうとし、舌識は味わおうとし、身識は触れようとし、意識は知ろうとします。このように忙しく動き回っている状態では、当然ながら禅定を得るのは容易ではありません。たとえ定があっても浅いものです。五識を閉鎖し束縛した後は、独頭意識の知覚だけが残り、より集中して分別し知ることができるため、当然禅定に入りやすくなります。一旦禅定に入れば、その定は比較的深くなる可能性があります。独頭意識までも制限した時、禅定はさらに深まります。他の識心が関与するほど禅定は浅く、分別する境界が少ないほど禅定は深くなります。故に最も深い滅尽定においては六識の分別がなく、意根単独のごく微弱な分別のみが存在します。 定力が不足して浅い段階では、観行を行わない方が良いでしょう。観じようとすればすぐに散乱し、観じられない時はひたすら定を修め、暫時観行を控えます。定力がやや深まってから観じれば、効果が比較的良くなります。修行方法は柔軟に掌握運用し、具体的な状況に応じて対応すべきであり、一概に論じてはなりません。
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