衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

生如法師ウェブサイトロゴ

日常法話

2021年07月03日    土曜日     第1開示 合計3467開示

四念処の修行:無明より明知に至る過程

この四念処経は単に禅定を修めるための経典ではなく、止観が同時に運行される経典でもあります。止観の結果として智慧が生じ、この慧こそが我見を断つ智慧であり、法眼が清浄になり、心が解脱を得る慧です。いわゆる解脱の慧とは、観察によって観察対象の法がある程度まで知られ、無明の知から明ある知へと変わることを指します。従来の知は法に対して明らかでない無明の知でしたが、今の知は法の真諦を明らかにした明知であり、観じるこれら一切の法である五陰身心が全て生滅・無常・変異・苦・空・無我であると明らかになる時、解脱の智慧が生じ、その後解脱を得られるようになるのです。

したがって四念処を観行する際、心には常に「知」を保たねばならず、それは心が止まった時の知であって、心が散乱している時の知ではありません。この二つの知には区別があります。心が止まった時の知には意根の知があり、心が散乱している時は意識が散乱している知です。散乱した知は全て無明の知ですが、心が止まった知においては無明が次第に減少し、無明の知から徐々に明知へと変わり、智慧が開けて解脱を得られます。心が散乱している時の知に現れるのは意識の機能作用のみですが、心が止まった時の知には意識がはっきりと知る働きだけでなく、意根が明らかに了知する働き、意根の思量作用があり、そうして初めて我見を断ち法眼が清浄になるのです。これは仏教が私たちに与えた修行方法であり、意識心で思惟・分析・考量・比量・推理する方法では決してありません。これらの方法は一切用いません。全ての法は現量で存在し、本来そういうものであるため、ただひたすら知を保ち続けて一定の時を経れば、世間の真諦を明らかにできるのです。

——生如法師の開示
前へ前へ

最も重要な定とは何か

次へ 次へ

浅定と深定

ページトップへ戻る