衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2021年06月30日    水曜日     第1開示 合計3466開示

最も重要な定とは何か

修定において最も重要な定とは、修定によって到達すべき目標と一致するものである。修定の目標とは何か。それは理を明らかにし、理を証得して智慧を開くことである。したがって、心は明らかにすべき理法に定められねばならず、心の念いが常に法の中にあり、修する法に専一することで、はじめて専心して思惟することができ、最終的に思惟が明らかになり、法を証得して三昧の智慧を得るのである。ゆえに最も重要かつ第一の定とは、意根が法の中に定まり、法を証得しようとする意欲、理を明らかにしようとする意欲、観行しようとする意欲、参究しようとする意欲、解脱しようとする意欲を持つことである。そうしてこそ一心不乱に観行と参究に専念できる。修定の方向性が明らかになれば、修定と修道の理路は外道とは明らかに異なるものとなる。

もし意根にまだこれらの意欲が備わっていなければ、修する法に定まることはできず、そうなると禅定を修持することは不可能である。なぜなら内的な原動力が不足していれば、外的な定力は修められないからである。善根・福德・因縁のいずれも不足し、大菩提心を発していなければ、原動力は生じず、置かれた環境からの影響や制限を突破できず、あたかも蚕が繭に縛られるがごとくである。もし意根の原動力が不足し、法に定まることができなければ、禅定はうまく修められず、観行は効果を発揮しない。修定がうまくいかない者は、自らが菩提心を発しているかどうか、発心は純粋かどうか、心の中に原動力があるかどうかを点検すべきである。 

意根の定は、まず法に定まることにある。そうしてこそ意識は法に定まり散乱せず、専心して観行できる。なぜなら意識は意根に従って転じるものであり、意根の指揮棒は刻一刻、刹那刹那に意識を指揮しているからである。もし意根が定まらず、指揮棒をあちこちに乱れ指せば、意識は全く定まることができない。したがって禅定の最も重要な点は、やはり意根を定住させることにある。意根が定住した後、常に法を念じていれば、精進して修行し、原動力が強まり、禅定の修行は急速に進む。意根が小乗の四聖諦に定まれば、三十七道品を精進して修学することになり、大乗の般若智慧に定まれば、菩薩の六度を精進して修行することになる。ただ意根が精進して仏法を修行してこそ、意識も精進できるのであり、意根が懈怠すれば意識は精進できず、意根が三十七道品を具足すれば、意識は必然的に具足するのである。

——生如法師の開示
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四念処の修行:無明より明知に至る過程

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