衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

生如法师のウェブサイトロゴ

日常開示

2021年06月29日    火曜日     第1 回の開示 合計3465回の開示

四念処観行問答三十七

問:白骨観が真に定境に入り、白骨が現前した際に呼吸はあるのでしょうか?長らく白骨観を試みていますが、常に意識の中で妄想が生じ、意根の境界における骨相が現前することを起こせません。これは熏習が足りないためでしょうか?  

答:白骨観の修習過程は全て初禅以下の禅定中にあるため、当然呼吸は存在します。白骨観を証得し白骨が現前した際も、初禅以下の三昧境界にあり、やはり呼吸があります。四禅以下の禅定状態では全て呼吸を有し、二禅以上では覚も観もなくなりますが、その場合白骨観は現前しません。故に白骨観三昧が現れる時には必ず呼吸が存在するのです。

白骨観の観行全体の過程は、独頭意識で観じ始め、絶えず意根を熏習し、意根にも観を生じさせることにあります。意根の観が成就した時、白骨観三昧が現前し、すなわち白骨観を実証して証果するのです。意根が熏習された程度に応じて、相応する白骨観の境界が現れます。熏習が成就していなければ白骨観の境界は現れません。 

問:以前は意識的に呼吸していましたが、昨日から自然呼吸にしたところ、呼吸が短くなりました。なぜでしょうか? 

答:呼吸が長かろうと短かろうと気にすることはありません。心が呼吸に専注し、修養と観行が深まれば、気脈が通じた時に自然に呼吸は深く細く長くなります。禅定があれば全て順調に進み、身体の状態も変化します。観呼吸とは呼吸の状態を一心に観じることで、他のことは考慮せず、余計なことを考えず、ただ自身の呼吸状態を明らかにすればよいのです。経文に観行の手順が示されていますが、第一段階が未完成なら第二段階に進んではいけません。一時に一つの法を観じ、多くを求めれば心が乱れます。定力が一定水準に達した後、徐々に観行の内容を増やせば、心が乱れることはありません。観行時には呼吸を観じる以外、他の法への理解や感想などは無用です。心に余計なことを考えず、観呼吸を妨げないようにしましょう。

——生如法師の開示
前の記事前の記事

静から動への観呼吸の実践方法

次の記事 次の記事

最も重要な定とは何か

ページのトップへ戻る