問:白骨観が真に定境に入り、白骨が現前した際には呼吸はあるのでしょうか?拙僧は長らく白骨観を試みておりますが、常に意識の中で妄想が生じ、意根の境界における骨相が現前せず、これは修養が足りないためでしょうか?
答:白骨観の修習過程は全て初禅以下の禅定中であり、当然呼吸はあります。白骨観を証得し白骨が現前した段階でも、それは初禅以下の三昧境界ですから、当然呼吸はあります。四禅以下の禅定中には全て呼吸があり、二禅以上には覚も観もなくなりますから白骨観は現前しません。よって白骨観三昧が現れる時には必ず呼吸が存在します。
白骨観の観行全過程は、独頭意識で観じ始め、絶えず意根を修養して意根にも観を生じさせることです。意根の観が成功した時、白骨観三昧が現前し、すなわち白骨観を実証して証果となります。意根がどの程度修養されたかによって、それ相応の白骨観境界が現れ、修養が足りなければ境界は現れません。
問:これまでは意識的に呼吸しておりましたが、昨日から自然呼吸にしたところ呼吸が短くなりました。理由がわかりません。
答:呼吸が長くなろうと短くなろうと気にすることはありません。心が呼吸に専注し、程度と観行が増長し気脈が通じれば、呼吸は自然に深く細く長くなります。禅定さえあれば全て好転し、身体状態も変化します。呼吸の観行は呼吸の状態を一心に観じることで、他のことは一切考えず、ただ自身の呼吸状態を明らかにすればよいのです。経文に観行の手順が示されており、第一段階が未完成なら次の段階に進んではいけません。一時期に一つの法のみを観行し、複数行えば心が乱れます。定力が一定水準に達してから徐々に観行内容を増やせば、心は乱れません。観行時には呼吸を観じること以外、法に対する理解や感想などは無用です。余計な思考で呼吸の観察を妨げないようにしてください。
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