衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2021年06月25日    金曜日     第2 回の開示 合計3460回の開示

どのような場合に娑婆に留まるとの誓願を発することができるか

娑婆のような世界にこそ三悪道が存在するので、もし娑婆世界に留まろうと誓願を立てるなら、最低限三悪道の業を断じ、三悪道の果報を滅し、来世において三悪道に堕ちないことを保証しなければならない。三悪道に入らないためには三縛結を断じなければならず、三縛結は意根が証果を得て、意根が心を明らかにし、意根が断ずるものである。こうして初めて煩悩の結縛を断じることができ、さもなくば来世必ず三悪道の苦を受ける。意識が三縛結を断じただけでは三悪道の業を免れない。意識の煩悩と三縛結は意根によって存在するため、意根が断じなければ、たとえ意識が断じても無意味であり、意識は意根に支配されているからである。 

欲界の五品煩悩を断じて初果向となって初めて、初果を証得し三縛結を断じることができる。まず自らの五品煩悩の有無、その重さ、断じ得るかどうかを観察し、その後初めて自らが三縛結を断じ得る見込みがあるか判断できる。それから自身の実情に基づいて誓願を立て、来世に安楽を得るべきである。もし不首尾に終わり、娑婆世界に留まると誓願しながら長く三悪道で苦しむなら、自らが救済を待つ存在となり、どうして他人を救済できようか。このような状況では、来世はまさに苦悩そのものではないか。

もし三縛結を断ずる保証ができず、意識の結縛すら断じ得ないなら、三悪道を免れることはできない。たとえ意識に三縛結がなくなっても、意根に三縛結があれば三悪道の業を免れない。さらに意根の結縛が深く煩悩が重い場合、意識の三縛結は時と場所を選ばず現れ、制御できず、来世必ず三悪道に趣向する。そうなればこのような誓願は、三悪道に留まって苦しむことを願うに等しい。故に誓願は細心の注意を払う必要がある。どのような状況でどのような誓願を立てるか、自身の修行の証量と実情に基づき、熱に浮かされて全てを顧みないようなことがあってはならない。智慧は尊いものである。必ず頭を働かせ智慧を開き、それから行動を起こすべきである。

——生如法師の開示
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