仏法を学ぶ者にとって、修行に必要な理論知識を一定レベルまで習得した後は、理論にさらに時間と労力を費やすべきではありません。なぜなら、どれだけ理論を学んでも、結局は理論のままであり、生死を超越して解脱を得るための真実の智慧にはなり得ないからです。仏法を実証してこそ大いなる智慧が生じ、解脱を得ることができます。実証するためには、基礎となる四諦の法から少しずつ修行を積み、段階的に実証していく必要があり、飛び級的な修行はできません。
私たちは今すぐ基礎から固めるべきです。基礎は非常に重要であり、必ずしっかりとした土台を築かなければなりません。基礎が固まっていなければ、どれほど深遠な法を学んでも究極まで到達できず、単なる知識的理解に留まり、実際に証得することはできないからです。学んだ理論が実証されなければ真実の智慧は生じず、自らが証悟した智慧こそが、私たちを生死の泥沼から導き出すのです。
したがって私たちは今、四念処観から修行を始め、まず小乗の解脱を証得し、その後この方法で大乗の禅に専心すれば、如来蔵を証悟できます。その後如来蔵の機能作用を観察し、別相智を獲得し、智慧がさらに増長した後、牢関を超えて唯識を参究し、如来蔵種子の機能作用を薫習することで、一分の唯識種智(道種智)を具えるのです。その智慧は非常に驚くべきものですが、これほどの大いなる智慧は一生や数生で得られるものではなく、無量劫にわたる善根福徳の積み重ねによって成就されるものであり、最初の仏法基礎が極めて堅固な土台の上に、一歩一歩実証されてきたものなのです。
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