衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2019年01月13日    日曜日     第1開示 合計1177開示

無記 (avyākṛta) とは何か

無記 (avyākṛta) の心行とは、善業にも悪業にも属さない心行であり、これらの心行は善業に記入することも悪業に記入することもできません。例えば第八識の一切の心行は、善悪業に分類することはできず、第八識にどのような心行があっても、業種として保存されることはなく、果報もありません。

では、意根の心行は業種として保存され、善悪の果報があるのでしょうか?楞厳経によれば、無始劫以前、生命体には第八識と意根の二つの識しかありませんでした。意根には無明があり、また善悪の心所法もありますが、意根の心行は表現されることができず、祂自身は業行を造作することができず、業種もないため、果報もありません。善悪の果報はどちらもないのです。

第八識が意根の外への攀縁によって、器世間と六識の五蘊身を出生させるに至って、初めて業行が生じ、第八識は業行を記録し始め、業種として保存し、五蘊身に善悪の果報が生じました。しかし六識のこれらの業行は、完全に意根の無明と善悪の心行の指図と影響を受けているものです。意根自身は善悪の心行を有し、六識に指図して善悪業を造作させることができますが、祂自身は何らの業行を造作することができないため、祂を無記と定めるのです。無記ではありますが、祂には善悪の心所法があり、六識を促して善悪業を造作させることができるのです。

六識のすべての心行は、いずれも業行に属し、すべて業種として保存され、すべて果報があります。善の心行、悪の心行、そして善でも悪でもない心行を含みます。意根が夜間、五蘊が睡眠している時の一切の心行は、業種として保存されず、果報がありません。たとえ眠った後に夢を見て、夢の中で善悪業を造作したとしても、いずれも業種として保存されず、果報はありません。しかし意根の心行は六識の行為に影響を与えることができ、善悪業の主導者であり主要な要素であり、造業の主人ですから、真に果報を受けるのはやはり意根なのです。表面上は確かに六識が果報を受けているように見えますが、実質は意根が果報を受けているのです。六識は滅することができ、新しいものと入れ替えることができますが、六識がない場合も果報身であり、例えば眠っている時、死亡している時、無想定の時、昏迷している時、滅尽定の時などは、いずれも意根が単独で果報を受けているのです。

——生如法師の開示
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