衆生無辺誓い度す
煩悩無尽誓い断つ
法門無量誓い学ぶ
仏道無上誓い成す

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日常開示

2018年03月28日    水曜日     第3 回の開示 合計272回の開示

意根の無間作意と仏法修証

問:無間作意とは、法義が意根に深く浸透した後、意根のみが無間作意を成し遂げ、念々に捨てない状態を指すようですが、実際の功徳は意根の認可あるいは転換の必然的産物ではないでしょうか。意根が真に認可し、引き受けたならば、証果の功徳は自然に生じ、智慧も得られる。これは一連の自然発生する過程であり、証法の根本は依然として意根にある。正しいでしょうか。

答:その通りです。無間作意とは、無間つまり不間断を意味し、意根のみが法義を縁として不間断に作用し、二六時中、朝に斯く暮れに斯く、念々絶え間なく続く状態を指します。これは仏法を意根に熏習させ、成功裡に意根を染め上げ、意根が仏法を重要と認め、念々に仏法を牽引し、心の働きが仏法から離れず、いつの日か必ず仏法を証得するに至る必要があります。もし意根が仏法を牽引しなければ、意識における仏法への心念は必ず断絶し、不間断に仏法を縁とすることはできません。

催眠法を用いても意根を認可させることができ、その後意根に転換が生じます。各人の意根が仏法を認可し証得する程度は異なり、受ける感応も異なり、転換も異なり、智慧も異なります。故に根本の智慧とは依然として意根からもたらされるものを指すのです。

——生如法師の開示
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