衆生无边誓願度
煩悩无尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

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日常法話

2018年04月02日    月曜日     第5開示 合計294開示

遍計所執性、依他起性、円成実性

前七識は見分であり、六塵を見ることのできる識心であり、能見である。相分は六塵、すなわち色・声・香・味・触・法であり、能見の相であり、また所見でもある。第七識は意根であり、我執識である。それは五陰を我または我の所有するものと執着し、十八界を我または我の所有するものと執着し、前六識の見分を我または我の所有するものと執着し、第八識の作用を我または我の所有するものと執着する。それは何を見ても執着し、普遍的につかみ執着する識であり、略して遍計所執識と呼ばれる。前六識は依他起性であり、六根が六塵に触れることによって生じ、如来蔵によって生起する。生起した後は六塵を分別する。

意根は分別できる六識心を我または我の所有する機能として執着し、六塵を我または我の所有する相として執着する。意根が執着せず気に留めない時、六根と六塵が接触しても識心は生じず、分別する識心は存在しない。あるいは識心の分別が極めて微弱で、ただ知るだけで終わり、それ以上進まない。これが無心の境界であり、見ても見えないように、聞いても聞こえないように、嗅いでも嗅げないように、六塵に対してほとんど感覚がなく、例えば味も分からずに食事をする時のように、心は接触している事物に向いていない状態である。

意根は六塵の境界を具体的に了別する智慧が比較的低劣で、分別性が弱く、主に前六識に分別を頼り、その結果を再び自分に報告させる。意根は六識が分別した結果に基づいて対策と行動を取る。意根が何かを成そうとする時は、前六識に行わせなければならず、自分自身では何もできず、社長のように指揮し、命令を発し、前六識が実行しなければならない。

そして如来蔵は総裁のように、前七識の一切の心行と活動を監視している。七つの識の種子はすべて如来蔵から出ており、六塵の種子もすべてそこから出て、一切の善悪業種もすべてそこから出る。如来蔵は大きな倉庫のように、衆生が用いるべき一切を貯蔵し、また衆生が仏となる種子も貯蔵している。それゆえに如来蔵と呼ばれる。これは総称であり、凡夫から仏地まで用いることができる。また衆生の修行の異なる層位・段階に応じて、それぞれ異なる名称を取るが、すべて同じ心体である。

如来蔵の性質は円成実性である。それは一切の法を円満に成就することができ、身口意行の一切はそれによって成就され、五陰の一切の活動はそれによって成就され、一切の因縁果報はそれによって成就され、世界の安立はそれによって成就される。いわゆる円満とは、如来蔵が決して因果に背かず、因果の法則を如実に履行し、一つの法を錯乱することなく成就することを意味する。

如来蔵が因果を実現する時、指揮や制限を受けず、自らも主張や意志を持たず、主宰をせず、完全に縁に随う心である。衆生が仏に成っていない時の如来蔵には無明があり、染汚がある。この無明染汚はすべて七つの識の業種であり、如来蔵自身には本来、無明も染汚もない。七識の無明が滅尽し、すべて智識に転じた後、如来蔵は無垢識・大円鏡智・真如・白浄識と呼ぶことができるようになる。

——生如法師の開示
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